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东京大学基金寄付者インタビュー第二十一回 : 笠原 健治様

掲载日:2021年3月24日

东京大学基金 寄付者インタビュー 第二十一回 : 笠原 健治様

写真:笠原 健治 氏

笠原 健治(かさはら?けんじ)
1975年12月6日生
大阪府出身。大阪府立北野高等学校から東京大学に進学。大学3年生となった1997年、求人情報サイト事業を開始する。1999年に法人化。2001年、東京大学経済学部を卒業。就職をせず、そのまま起業家としての道を歩む。2004年、ソーシャル?ネットワーキングサービス「mixi」を公開し、日本のSNS文化を開拓。2006年、株式会社ミクシィを東証マザーズに上場させる(現在は東証一部)。2013年、同社の取締役会長に。2015年、家族向け写真?動画共有アプリ「家族アルバム みてね」を公開。2020年、個人として10億円の資金を拠出し、すべての子どもとその家族が幸せに暮らせる世界を目指す「みてね基金」を立ち上げた。

東京大学に進学後、将来の自分像をイメージできず、もがいていた笠原健治氏に光明が差したのは大学3年生のとき。所属していた「新宅ゼミ」で、インターネットビジネスの可能性と起業家という生き方の醍醐味を知った。そこから20年以上の時間を経た現在も、笠原氏は起業家としての人生を歩み続けている。その間、日本発のソーシャル?ネットワーキング サービス「mixi」で多くのユーザーを獲得、東証マザーズに株式上場(現在は東証一部)、スマホアプリ「モンスターストライク」が大ヒット、家族向け写真?動画共有アプリ「家族アルバム みてね」を世界展開させるなど、起業家としていくつもの挑戦を繰り返してきた。そんな笠原氏から东京大学基金は、2007年に「知的資産経営」総括寄付講座、2020年に修学支援事業基金へのご寄付をいただいている。今回は笠原氏に、学生時代の思い出、起業家としての歩み、東大生への期待をお聞きした。

将来が见えず闷々としていた教养时代。
ゼミの授业で滨罢ビジネスに兴味を抱く

大阪で生まれ育ち、高校は府立の北野高等学校へ进んでいます。小さな顷から歴史小説を読みふけっていた影响か、高校生になったころには官僚という职业に兴味を持つようになっていました。世の中全体を见渡して、政治的な観点で世界を、日本という国をよりよくしていきたい。広く社会に贡献できるような人になりたいと考えるようになったのです。北野高校からは京都大学に进む人が多かったのですが、私は亲元を离れて一人で暮らしてみたいという希望もあり、官僚を多く辈出している东京大学を受験することを决めました。

文理でいうと、理系科目のほうが得意で、自分自身、ずっと理系のクラスにいましたし、両亲からも理系に进んだほうがよいと强く言われていたんですよ。でも、官僚になりたいということを両亲に説明して理解を得、结果、経済学部への道がある文科二类を受験して进学したという流れです。今、私は滨罢业界に身を置いていますから、振り返って考えるとコンピュータサイエンス的な勉强をしておけばよかったなと思ったりもします。ただ、当时は现在のような世の中が到来するとは想像すらできませんでしたし、世界のこと、社会のことを俯瞰して把握するためには、経済学を学ぶのがいいだろうと考えていました。

东京での生活が始まり、驹场キャンパスに通っていた1、2年の顷は、高校时代から続けていた水泳も顽张ろうと考え、体育会の水泳部に所属していたのです。しかし、一所悬命练习しているにもかかわらず、なかなかタイムが伸びず、途中で退部してしまいました。また、将来の进路に関しても、官僚になりたいと思いながらも、もっと违う世界もあるのではないかと迷いが生じてしまい&丑别濒濒颈辫;&丑别濒濒颈辫;。そういった感じで、自分が今やるべきこととか、一番向いているものとか、本気でやりたいことが见えなくなって、闷々としていました。将来の自分の姿がうまくイメージできず、もがいていたことを覚えています。

大学3年になって経済学部に进み、今も东京大学にいらっしゃる新宅纯二郎先生の経営戦略のゼミナール(新宅ゼミ)に入りました。ここで、いろんな业界のケーススタディを教えていただく机会があったのですが、私が特に面白いと感じたのが滨罢业界です。マイクロソフト、アップル、デルなど、アメリカの若手起业家たちはスタートアップからどうやって事业を大きく成长させていったのか――滨罢业界のダイナミズムに影响を受け、これほどエキサイティングな世界があることを初めて知りました。すぐにそれまで持っていなかった自分用のパソコンを购入し、多くの滨罢関连の本を読み始め、起业という道を少しずつ意识するようになっていきました。


大学3年时に起业家人生がスタート。
その后、数々の滨罢ビジネスを立ち上げる
ミクシィメンバーと2001年顷 ミクシィメンバーと2003年顷
ミクシィメンバーと2001年顷 ミクシィメンバーと2003年顷

当時は、ちょうどインターネットが日本で広がり始めた時期でもありました。考えてみると、インターネット産業は、1980年代に本格スタートしたパソコン産業と同じような勃興期にあるのではないかと。そのタイミングであれば、学生の自分でもトライして成功するチャンスがありそうだということに気づきました。そこからいくつかのビジネスアイデアを検討しつつ、1997年に求人情報サイト「Find Job !」を立ち上げたのが、私の起業家としてのスタート地点です。

最初は一人、个人事业として始め、少しずつ仲间を増やし、结果的に事业を轨道に乗せることができました。そして、スタートから2年后の1999年に法人化し、大学を卒业したのが2001年ですから、普通の人よりも长く东京大学にお世话になっている计算です(笑)。

そうやって大学生を続けながら起业したわけですが、事业を自分事として継続していくうちに、自分の中で生じた疑问や问题意识を一つずつ解决するため、ゼミでの勉强や経済学部の経営に関连する授业など、さらに真剣に取り组むようになりましたね。また、よりよい社会をつくるために尽力する官僚もよいのですが、自ら事业をつくってそれを大きくしていくことで、もっとダイレクトに世の中に影响を与えていく、あるいは新たなサービスを提供して多くの人々に喜んでもらえる起业家という生き方が自分には合っているのではと考えるようになりました。学生起业家としての日々を过ごしながら、さまざまな迷いもありましたが、徐々に自分が进むべき道が定まっていった感じでしょうか。そして最初の起业から20年以上が过ぎた今も、私は起业家、経営者として挑戦し続ける毎日を送っています。

2004年に公開したSNS(ソーシャル?ネットワーキング サービス)「mixi(ミクシィ)」は、新たなコミュニケーションインフラの創出を想定して立ち上げたサービスです。スタート当時は、2000万人ものユーザーに使われるようになるとは思ってもいませんでした。ユーザーの利便性や楽しさの向上を徹底的に追求し、運営を続けていく中で、新しい可能性やチャンスの大きさに気づかされ、ユーザーとともにmixiもビジネスも成長していったという感じです。

2006年、株式会社ミクシィは东証マザーズへの上场を果たしました(现在は东証一部上场)。その后当社の大きなヒットとなったのが、2013年に公开したスマートフォン用のゲームアプリ「モンスターストライク(モンスト)」です。モンストは単なるゲームを超えて、友だちとスマホを持ち寄って、一绪に游べるゲーム。コミュニケーションができるからこそ、さらに楽しく、盛り上がることができる。その当时、当社の现社长を务める木村(弘毅氏)が企画提案、プロデュースしてくれたサービスで、彼にはそこがはっきり见えていたというか、狙って始めて、実际に多くのユーザーに受け入れられたという感じですね。

モンストがスタートした年に、取締役会長になりました。会社としてより多くの新規事業をつくっていく大事なフェーズでもありましたし、自分自身が得意であり、大きなやりがいを感じる新規事業の創出に能力と時間を集中させていくべきだと。株式会社ミクシィはこれからもインターネットを介したコミュニケーションを主軸とした会社であり続けたいと思っています。できれば世界中の人たちに日常的に使ってもらえ、楽しくて役に立つようなサービスをたくさん提供していきたい。そして2015年に私が企画して公開したのが、家族向け写真?動画共有アプリ「家族アルバム みてね」です。

(中略:続きと全文は、「东京大学基金」ウェブサイトのをご覧ください。)


学生が多様な机会に出合う场として、
东京大学をよりよい大学にしてほしい

私自身が考える寄付という行為は、何か特别なことというよりは、困ったときはお互い様の精神で助け合うべきという感覚です。ただし、今回の新型コロナウイルス感染症もそうですが、东日本大震灾のような日常が大きく変わってしまうような、そういうときには、より大きな规模での寄付が必要だと思っています。东日本大震灾発生当时、株式会社ミクシィとしても、个人としても寄付活动に取り组みましたし、厂狈厂「尘颈虫颈」のユーザーの方々からもたくさんの义援金をご提供いただきました。そういった活动の意义や、素晴らしさを感じつつ、事业で世の中に贡献していくこと、社会的な活动で世の中に贡献していくこと、この両方ができる会社、人になっていきたい――そんな思いが强くなっていったタイミングでもありました。

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先生还暦パーティー
 

これまで东京大学にも何度か个人として寄付をさせてもらっています。自分としては、新宅先生のゼミや経済学部の授业などから、起业するきっかけをいただいたと思っていますし、大学时代に育まれた&濒诲辩耻辞;种&谤诲辩耻辞;みたいなものがあった気がしています。その种が自分の中で今も生きている、また、当时のさまざまな学びが、事业を経営していくうえでの柱になっているという感覚があります。もちろん社会人になってからも成长はできますが、学生时代はもっと大切な成长の期间、そして社会人になって以降はしっかり世の中に贡献していく期间であると考えています。だからこそ、学生时代に自分に合った种を见つけ、将来の可能性を考えることがすごく大事です。学生の方々にできるだけ多くのチャンスに出合い、それをしっかり育んでほしいと愿い、寄付をさせていただきました。ほか、一起业家として、东京大学出身の创业者が东京大学出身の后辈起业家を支援する「东大创业者の会」にも协力、参加させてもらっています。
 

私が大学生时代に起业家という选択肢に出合えたように、东京大学は将来どうしていこうか迷っている学生たちに多様なチャンスを提供できる场であってほしい。私のような个人が寄付をすることで、チャンスに触れられる机会が増えればいいと思いますし、学生の方々には、そのチャンスをどん欲に、自らつかむための努力をしてほしい。新型コロナの発生によって人々の暮らし方、仕事の仕方などが大きく変わってきています。それを目の当たりにしている若い世代の皆さんが、この変化をしっかり消化し、未来に役立つ仕组みやサービスをつくっていかなければなりません。东京大学の卒业生がそういった难问に挑戦し、その重责を担うリーダーになってくれると嬉しいです。
 

私はこれからも起业家として、大好きなインターネットを使った事业を企画し、世の中に役立ててもらいたいと思っています。何か新しいことを思いついた瞬间はすごくワクワクしますし、つくっているときもすごく楽しい。うまくいくときも、失败するときもありますが、少しずつ调整しながら事业が大きく成长する瞬间に快感を覚えます。梦としては、一つでも多く、世界中の人たちを幸せにするサービスを生み出すことです。もちろん、事业として行うわけですから、幸せを提供した対価として収益もしっかりと确保する。そして、事业活动だけでは届かないところに対して、そこから得た収益で寄付などの社会的活动を併せて行っていく。それを十分に実现できるような会社や人として、これからも成长していきたいと思っています。

取材?文:菊池 徳行(株式会社ハイキックス)
※寄付者の肩书きはインタビュー当时のものです。

(全文は、「东京大学基金」ウェブサイトのをご覧ください。)

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