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トップアスリートの知られざる困难 当事者研究から考える、2020東京五輪 熱狂への警鐘

掲载日:2018年8月22日

トップアスリートの活跃の里にあるのは、美谈だけだろうか。
 
オリンピック?パラリンピック競技大会  − この日のためにすべてをかける憧れの舞台。
トップアスリートたちの炽烈な闘い。メディアに溢れる感动秘话。
世界中が奇跡の瞬间に胸を跃らせ、涙し、勇気をもらう。
 
华やかなスポーツの祭典の、もう一つの颜。それが、「能力主义が先鋭化する舞台」だ。
 
2018年7月30日、東京大学先端科学技术研究センター(东大先端研)でシンポジウム『日常への帰还 アスリートと宇宙飞行士の当事者研究』が開催された。
 
国家的ミッションや巨大な资本を背负いつつ、极限的な状况に身を置くことになったトップアスリートは、どのような困难を抱えるのか。
自らの経験を分かち合う「当事者研究」の视点で考察すると、今、私たちが向き合うべき课题が浮かび上がった。

『日常への帰还 アスリートと宇宙飞行士の当事者研究』

企画:    熊谷 晋一郎 准教授(东大先端研 当事者研究分野)
主催:    東京大学先端科学技术研究センター
后援: 公益财団法人日本オリンピック委员会
    公益财団法人日本障がい者スポーツ协会日本パラリンピック委员会
登壇者:小磯 典子 氏(元バスケットボール オリンピック選手)
    花岡 伸和 氏(元車椅子マラソン パラリンピック選手)
    野口 聡一 氏(JAXA宇宙飛行士)
    上岡 陽江 氏(依存症回復支援施設 ダルク女性ハウス代表)


障害者が抱く、オリパラへの复雑な思い

「国を挙げて盛り上げているのに、水を差すなと言われるかもしれない」
 
シンポジウムの趣旨説明で、先端研?熊谷晋一郎准教授はそんな言叶を口にした。
 
「2020年东京オリンピック?パラリンピックについて、多くの障害者が、2つに大きく引き裂かれる复雑な思いを抱いています。1つは、目から鳞のハイパフォーマンスを目にして&濒诲辩耻辞;障害者でもこんなに能力を発挥できるんだ&谤诲辩耻辞;と、障害者に対する差别や偏见が减ったり、この机会にバリアフリー化が进んだりする、良い変化への期待です」
 
実际に、パラスポーツを目にした人々が、障害に対する差别や偏见を减らしたというイギリスの研究もあるという。
 
「しかし一方で、がんばる障害者がいるのに、私はなんて能力がないのだろうと、自分を责めてしまう一般の障害者がいるのも事実です」
 
熊谷准教授自身も「スポーツが得意どころかコンプレックスを持ってきた、比较的多数の障害者」だそうだ。多くの障害者はスポーツに驯染みがなく、自分たちが排除されるイメージを持っている。

「2年前の7月26日、神奈川県相模原市で起きた障害者施设杀伤事件。犯人は、能力のある人には生きる価値があるが、ない人には生きる価値がない。そんなことを言いました。それに対して私たちは异议を唱え、能力主义を否定したわけです」
 
ところが、障害者福祉の现场でも、似たようなロジックが使われる。适切な合理的配虑さえあれば能力を発挥できる。つまり、能力がより発挥できる状态が良い状态であるという、ある种の能力主义に基づいた支援の组み立て方だ。
 
これは自己実现や能力を発挥する自由な社会の条件であり、この考え方自体に反论はできないと、熊谷准教授は话す。
 
しかし、この「能力がより発挥できる状态が良い状态」という考え=能力主义が、一般の障害者だけでなく、オリンピックやパラリンピックに出场する当事者、トップアスリートも苦しめていることが、当事者研究を进める上でわかってきた。

トップアスリートを消耗させる「能力主义」と「レッテル」

元バスケットボール选手の小磯典子さんは、恵まれた身体能力のおかげで、ほぼケガのない现役生活を送った。しかし、ケガをしないとまとまった休みはない。その歪みは、强烈な生理痛に现れた。
 
「大事な试合に限って、生理になる。もう、のたうちまわるほど痛かった。私はなんてダメなんだと、毎月、自分を责めました。练习を休んでレギュラーから落ちるのが怖くて、常に定量以上の痛み止めを饮んでいました」
 
その后、知人に「がんばらないこと。子宫の近くで拳を握るのをやめてごらん」と言われ、拳を开くと痛みが和らいだり、行きたくなかったバスケ関係の行事に欠席を告げた途端、痛みが消える経験をしたという。

「头ではこうするべきだと考えていても、本当はやりたくない。生理痛はそれを教えていたのだと思います」
 
常に他の选手と自分を比较し、能力がないからもっとがんばらなければいけない。がんばれない、选ばれない自分には価値がない。その重圧と紧张は引退后数年経っても軽减されず、コーチに怒られる恐怖感や、失败した试合のフラッシュバックに袭われたという。

车椅子マラソン元パラリンピック选手の花冈伸和さんは、会场に问いかける。
 
「弱者の强すぎる主张は、非常に嫌がられますよね」
 
パラリンピック选手は、「障害者」と「アスリート」の2つの区分に属する。障害者に対する「できないことがある弱者」「清い人」というイメージと、アスリートの「身体机能を高めた强者」「清い人」という一见相反するイメージの中に「清い人」という共通项があり、「圣人君子であるべき」というレッテルを贴られる。

移动の困难や情报アクセスなどの物理的な害より、マジョリティから胜手に贴られる「よくわからないから、こうしておこう」といったレッテルの枠に収められることに、障害者は生きづらさを感じる。この「社会からの枠に自分を合わせる葛藤」は、トップアスリートも同じだと花冈さんは言う。
 
「そこで権利を主张すると、たちまち&濒诲辩耻辞;プロ弱者&谤诲辩耻辞;という新たなレッテルが贴られ、いくら正しいことを言っても、影响力が低下します。こんなに気を使わないと物が言えない。この时点で、かなりの生きづらさがあります」
 
花冈さんの言叶を借りれば、超人は、超がんばっている凡人。「スポーツで自己を肯定し、自分を保つためにがんばっているだけで、何をされても大丈夫なわけではない」。

宇宙飞行士による当事者研究の最前线

先端研の当事者研究分野には、宇宙飞行士である野口聡一さんも研究メンバーとして参加している。宇宙飞行士は、非常にタフなトレーニングを経て、国家的な威信を背负い、まさに命をかけて大きなミッションに身を投じる。极限的な环境に身を置くという点でトップアスリートたちと似た経験の持ち主だ。

野口さん自身の二度の宇宙飞行経験から、宇宙飞行士が宇宙から帰还した后に直面する、日常生活における心理的?身体的な困りごとは多岐にわたり、その中にはアスリートが日常に復帰する际に直面する困难とも相通じる部分があると指摘している。
 
「重力は、自分がそこに存在すること、立っていることを认识するための、第一判断基準です。でも、宇宙へ出た途端に重力から解放され、第一判断基準がなくなる。重いモノに対する认识が変わり、身体能力の拡张を感じます。ところが、地球に帰还すると、骨や筋力、视力の低下といった障害が出ます」
 
野口さんは、この拠って立つ认识が反転する现象によって、マイナスは本当にマイナスなのか/プラスは本当にプラスなのか、というノーマルからの逸脱を体験した。宇宙空间でのさまざまな経験は、今でもフラッシュバックするという。

「ハッチを出た时に、地球が见えた。その不思议なインパクト。フラッシュバックがポジティブかネガティブかは、パーソナリティの违いが関係するのかもしれませんが、私の场合はポジティブです。ただ、&濒诲辩耻辞;かつての私&谤诲辩耻辞;と&濒诲辩耻辞;宇宙から帰还した私&谤诲辩耻辞;は同じ存在なのか。宇宙空间での経験が自分に何をもたらしたか。まだ、整理しきれていません」
 
宇宙飞行にせよオリンピックにせよ、极限的な経験が个人の内面にもたらす剧的な変化を当事者が客観的に解析する研究は世界的にもまだ例が少ない。熊谷准教授と野口さんは、発言记録やダイヤログを丹念に解析することで、当事者研究の新しい展开を试みているという。

依存症当事者とトップアスリートの共通项とは

当日は依存症の支援施设代表も登坛したが、依存症とアスリートとどんな関係があるのだろうか。
 
ダルク女性ハウス代表の上冈阳江さんは、「私はネガティブなフラッシュバックなので、仲间と一绪にその记忆の现场を访れて、思いっきり楽しく过ごすことで思い出を书き换えます。なぜ、自分でフラッシュバックの种类を选べないんでしょうかね?」と笑い、「全く违う叁人の话が、私には一つの话に闻こえます」と切り出した。
 
依存症で苦しむ当事者の経験とトップアスリートが苦しむ困难には、惊くほど共通の构造がある。それは、他人を頼って生きるのではなく、自分の能力を常に向上させて生き延びなければならないと追い込まれる、能力主义の特徴だ。
 
「アスリートは、医疗麻薬から依存症になる例が多い。いい选手であろうとすればするほど、痛み止めに依存するからです。これはアスリートだけの问题ではなく、社会构造の问题。アスリートのドーピングも、适用范囲を厳格にするだけでは解决しません」

薬物やアルコール依存症、摂食障害を経験した上冈さん。治れば苦しさから解放されると思っていたが、完治してからの日常生活のほうが辛かった。

オリンピックに出ればプレッシャーから解放されると思っていた小磯さんも、実际にはオリンピック后のほうが苦痛が大きかった。上冈さんによると、アスリートが上り调子の时に感じる自己陶酔感?自己肯定感と、负けた时やスランプ时の落ち込みは、依存症の世界に似ているという。

2020年への热狂の中だからこそ、弱さを见つめる

シンポジウムの冒头で挨拶した神崎亮平先端研所长は、当事者研究を「弱さの情报公开」と表现した。熊谷准教授はシンポジウムの目的をこう语る。
 
「アスリートが弱音を吐くと、いろいろなところからバッシングされます。でも、2020年を前にした热狂に中にあるからこそ、私たちはその弱さに触れる必要があるのではないか」

当事者研究では、弱さを情报公开してくれた相手に対して、决して揶揄することなく敬意を払う。今回のシンポジウムは、オリンピック?パラリンピックやトップアスリートを否定するものではない。2回のオリンピックを経験した小磯さんも、世界に通用するアスリートが出てくることを楽しみに待っていると话す。

「ただし、アスリートが健康であること。自分と谁かとの比较がもたらす怖さ、特に、それが子どもに向かう恐ろしさを、立ち止まって考えてほしい」
 
Photo by PhotoAC

小磯さんは、怒られ続けた子どもの身体は固くなり、试合や练习以外ではゾンビのようだという。

さらに、引退后の再就职に苦労した経験から、スポーツから离れた后の自分のアイデンティティを、现役时代から探しておかなければならないと诉える。成绩向上やメダル获得といった短期的な视野だけでなく、长期的かつ全人的なアスリートのサポートを考える必要がある。
 
「指导者は、自分がその子の人生の1ページを担っているのだと、肝に命じてほしい。この1试合、このワンシーズンだけという短期的な指导と、选手の一生を考えた指导では、その后がまったく违う。亲も、胜つためだけの生活がどれだけ辛いか、理解する必要があります。がんばるだけではなく、楽しむという梦の追い方を教えるのは、大人の役目です」

オリンピック?パラリンピックは、世界トップレベルの竞技が见られる。小磯さんは、「スポーツは、竞い合うことで自分を磨くもの。相手がいて、相手が强いから、面白い。试合には必ず、胜者と败者がいる。胜者への赏賛が社会に溢れ、败者は影の世界に追いやられる。でも、试合后や引退后の人生の方が长いんです」と话す。
 
「もっと、败者のストーリーが语られてもいいのではないか。美谈が报道される里侧の现実、行き过ぎた能力主义がもたらす弊害を知ることで、オリンピック?パラリンピックに挑戦する身近なアスリートにかける言叶が変わってくるかもしれない」
 
熊谷准教授が言うように、2020年东京五轮への热が高まる今だからこそ、私たちは歩みを止め、注意深く、冷静に、能力主义と向き合う必要がある。
これまでと同じではなく、通ってきてよかったと思える新たな道を拓くために。

(取材?文/広報?情報室 山田 東子)

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