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ハブの进化が语る南西诸岛の成立/服部正策のハブ学@鹿児岛県 | 広报誌「淡青」35号より

掲载日:2017年11月14日

実施日: 2017年09月08日

ハブ学 @ 鹿児島県
 
岛ごとに特徴が违う日本固有の毒蛇
ハブの进化が语る南西诸岛の成立

日本固有の毒蛇、ハブ。奄美大岛でこの毒蛇と日々向き合うだけでなく、岛ごとに违うハブの进化を通して南西诸岛の成立过程を考える研究者がいます。ハブを丑耻产に、蛇の生态と500万年规模の地理的変迁をつなげる服部ハブ学。触れても噛まれることはありません。
 
服部先生顔写真書籍

服部正策/岛根出身
Syosaku Hattori

特任研究员

服部先生の本(共着)
『マングースとハルジオン』(岩波书店/2000年刊/1900円+税)

 

奄美大岛の鲜やかな「金ハブ」。

ハブの脱皮殻について小学生に説明中。
  
東京大学医科学研究所奄美病害动物研究施设は伝染病研究所大島出張所を前身とする。初代研究者の北島太一はハブの採毒所として建設したと記録があるので、100年以上前からハブの研究を続けていることになる。それほど、ハブは興味の尽きることがない毒蛇である。

100年ほど前の奄美大岛や冲縄で、ハブ、キノボリトカゲ、イシカワガエルなどの日本本土とは异なる动物を目のあたりにした生物学者たちは、アジア南部から北上した动物たちの生き残りの地と认识し、南西诸岛の屋久岛と奄美大岛の间に渡瀬线という生物境界线を提唱した。500万年前から200万年前顷に南西诸岛が陆桥になっていた时期があり、その时代に南から北上してきた东洋区の动物の末裔が暮らす岛という「南方からの渡来説」である。

奄美群岛と冲縄岛周辺を「中琉球」と呼び、世界自然遗产登録を目指している。最大の売りは固有种の多さである。アマミノクロウサギ、トゲネズミ、ルリカケス、ハブ、イシカワガエルなどの、世界に近縁种が见つからない多くの固有种が生息している。ハブの近縁种は八重山诸岛、台湾、中国南部などに生息しているが、ハブとの间には1000万年くらいの遗伝的距离が推定されている。岛伝いに渡来してきたという説では説明できない遗伝的距离がある。このことは、中琉球に移住せずに大陆に残った种のほとんどが絶灭してしまったことを强く示唆している。

渡瀬线のほかにも蜂须贺线という生物境界がハブの住む久米岛と宫古诸岛の间にもある。この二つの生物境界が大陆侧にまで続いていたとすれば、それは古黄河の河口と古扬子江の河口であった可能性が高い。黄河と扬子江の间の现在の大陆棚の位置に残された中琉球の固有种の祖先たちは、その后に访れる氷河期に絶灭したという仮説が、中琉球の动物の固有性を説明する时に最もわかりやすい。南西诸岛が成立した时期は地球の温度が次第に低くなった时期であり、この时期には生物は北上せずに南下していたはずである。大陆のはずれに现われた陆地は、东シナ海の拡大により大陆から切り离されて黒潮の南に浮かぶ岛になり、移り住んだ生物たちは気候の寒冷化に耐えることができたという「中新世の方舟説」である。
 

中琉球の成立过程の想像図。
中琉球は200万年前顷に大陆から切り离されたと考えられる。
ハブは中琉球の中でも进化を続け、冲縄岛、冲縄周辺离岛、徳之岛、奄美大岛、宝?小宝岛の5地域で、ハブ毒の成分、模様や色彩、大きさや形态、习性などに大きな违いが表れている。奄美大岛、徳之岛に特徴的なハブ毒中の强い筋壊死因子などは最たるものである。

江戸时代末期からハブの买い上げ记録があり、当时の相场がハブ1匹米1升であったという。买い上げは现在も続いていて、今日の相场は1匹3千円で、年间1万5千匹が奄美大岛で捕获されている。今でも极めて身近な毒蛇として恐れられていて、ハブ咬伤対策の讲习会を年间20回ほど学校、公民馆などで开催している。ハブの脱皮殻、ハブの牙、ハブの习性、ハブ毒の特徴、応急手当、病院での治疗法と予后までを、生きハブ、标本などを観察しながら详しく解説し、最新の情报を提供して、同じ岛に暮らすハブとの共存を目指している。
※本记事は広报誌「淡青」35号の记事から抜粋して掲载しています。笔顿贵版はをご覧ください。

 


 
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