植民地朝鲜における不就学者の学び 夜学経験者のオーラル?ヒストリーをもとに
本书は、夜学経験者のライフ?ヒストリーをもとに、植民地期朝鲜における不就学者の学びの実态を明らかにするとともに、当时夜学の果たした役割とその意义について考察したものである。
植民地期朝鮮では三?一独立運動 (1919年) 以降朝鮮民衆の教育熱が右肩上がりであったが、日々高まる朝鮮民衆の教育熱に対して朝鮮総督府の学校増設は追い付かず、入学競争は初等?中等学校を問わず植民地末期まで続いた。つまり、植民地期朝鮮の就学率は、日本の植民地支配下の35年間低い水準を呈し続けており、植民地末期にも5割程度にとどまった。その最も大きな原因は、不就学問題に対する朝鮮総督府の消極的な対応ということができる。
当时、学校に行けない不就学者の学びを支えた教育施设としては、朝鲜各地に设置されていた夜学や讲习所、书堂などがある。これらの教育施设は、不就学児童のみならず、学齢期を超えた青年や农民、労働者、そして妇人等に対しても教育を行っていた。これらの教育施设や教育活动は、官によるものも一部あったものの、その多くは朝鲜民众によるものであった。要するに、近代教育に対する朝鲜民众の欲求は、朝鲜総督府が提供する学校だけでは満たされず、民众自らが夜学や讲习所を设立?运営して学んでいたのである。
こうした朝鲜民众による教育実践、つまり「夜学」に関する従来の研究は、主として「抑圧―抵抗」という二项対立の研究视点に立っており、これらの教育施设は朝鲜民众の民族教育の场としてとらえる视点が强かった。しかし、そうした视点では、朝鲜民众はもっぱら「抑圧」の対象もしくは「抵抗」の主体としてしか描かれず、自らの暮らしや学びを守り、つくりあげていく生活及び教育における主体としての侧面は看过されてしまう。こうした二项対立の视点を乗り越えるため、本书では、これまで文献资料のみに依拠していた夜学研究の课题を踏まえ、植民地期朝鲜の夜学研究に欠けていた実証性を补うため、当时、実际夜学で学んだり、または教えたことのある夜学経験者の証言を集め、考察している。
当時の夜学経験者を探し出すことは決して容易なことではない。調査に着手し始めた時 (2013年) の夜学経験者は、すでに80歳を超える高齢であり、また学校とは違って夜学は学籍簿などの記録もほとんど残っていないため、夜学経験者を探し出すことそのものが大変なことであった。その中でも2013年4月から2018年10月まで約5年半にわたって多くの夜学経験者を探し出し、64名 (生徒60名、教師4名) からライフ?ヒストリーを聞くことができた。
夜学経験者の証言によると、植民地期の朝鲜民众は生活向上や社会的地位の上昇移动、あるいは新しい文化を楽しむために、积极的に教育を受け、または自ら学びを创造していく主体的な存在であったことがわかる。学ぶ人々の视点から夜学をとらえると、従来の「抑圧―抵抗」図式では説明できない実态が多く存在している。贫弱な教育环境の中で民众自らがつくった夜学が、子どもをはじめ、青年、女性などの不就学者の受け皿となり、また一方では地域住民の文化交流や地域の拠り所としての役割をも果たしていたのである。
(紹介文執筆者: 教育学研究科?教育学部 教授 李 正連 / 2022)
本の目次
第1章 : 植民地朝鮮における教育政策の展開
第2章 : 教育欲求の高まりと夜学の増加
第3章 : 不就学者の学びの実態 ― 1939‐40年代夜学経験者のオーラル?ヒストリーをもとに
第4章 : 女性の学びと夜学
第5章 : 夜学教師による教育実践の諸相
終 章 : 不就学者の学びと夜学
関连情报
國分麻里 (筑波大学) 評 (『アジア教育』16巻、pp.81-85 2022年11月)
肥後耕生 (豊岡短期大学) 評 (『基礎教育保障学研究』第6号 2022年8月)