讲谈社现代新书 日本人と山の宗教
いままでに山の宗教と日本人?日本文化の関係を论じた书籍の中には、山の古典として味わい深いものも多数ある。これら先人の筑き上げた〈秀峰〉を前に、いまふたたび山の宗教を问う意味とはなんだろうか、というのが本书の出発点だった。しばらく闷々と考え続けた挙句、やはりいままでに体験してきたいくつもの山との出会いを率直に思い出し、その场所から笔を起こすのが今日を生きる私にとって一番自然だと思うに至った。
いっぽうで、歴史学という分野に身を置きながら日々研究をつづける立场の私からは、山の宗教からどのように过去を振り返り、また今日の社会になにを问いかけるか、ということもまた、大きな〈山块〉として横たわっている。そこで従来の研究を纽解くと、どちらかといえば原始以来変わらない超歴史的な山の宗教の基层を见出し、すでに失われた文化としてノスタルジックに描写するスタイルが多いことに気づいた。歴史的思考にもとづけば、原始から変わらない基层信仰などを想定するのはきわめて难しいものである。原始?古代から间断なく続く山の宗教の移り変わりを追い、近现代に生きる我々の実感へとなんとか结び付けていくことができないか、これが本书の基本的视角となった。
こうした构想のもと、本书では最初に、山の顶点は必ずしも絶対的な信仰の対象ではなかったと问题提起する。こうして山への意识を歴史的に相対化したうえで、裾野の世界の重要性に注目していく。大陆仏教の影响を色浓く受けた古代の山林修行は、この裾野に展开していく。平安时代になると、ここにベースキャンプが作られることで、修行者はさらに深山?高山へと挑戦するようになった。やがて一部の修行者は冬の时期も通じて高山に笼るようになるが、山の宗教の基盘は引き続き里山にあった。
この裾野を接点として、中世以降の山の宗教はとくに世俗とのかかわりの中で展开していく。ときには地域権力から王権まで巻き込んで発展し、室町期以降は里山の开発にも主导的な役割を果たしてゆく山の宗教の実态を歴史的に追求し、本书では深山幽谷をすみかとする孤独な山林修行者の従来のイメージに大きな疑问を投げかる。最后に、近世加贺藩の立山支配や播隆上人の枪ヶ岳登山などが缓やかな形で近代のスポーツ?レジャー登山へと接続し、ウェストンから深田久弥にいたる登山観の确立を経て、「山怪」や山ガールなど21世纪の新たな山への展望が开かれるまでを见通してみた。
本书は広く山の宗教に兴味を持つ一般の読者を対象に、楽しみながら読み进めていただけるように工夫を施した。同时に、史料読解の里付けや歴史的思考法から离れないように心がけ、アカデミックな歴史研究への窓口となることもひそかに期待している。本书を手に取った読者が、登山道を踏みしめながら今までとは一味违った山の风情に思いを致していただければ嬉しく思う。
(紹介文執筆者: 史料编纂所 教授 菊地 大樹 / 2021)
本の目次
第一章 山の宗教の原像
第二章 山の宗教の変质
第叁章 山の宗教と中世王権
第四章 山の宗教の裾野のひろがり
第五章 山の宗教の定着と近代化
终章
関连情报
登山爱好家が知るべき「山の宗教」、その千年の歴史 (『闯叠辫谤别蝉蝉』 2020年9月14日)
著者にインタビュー [菊地大樹にきいた] それぞれの山にそれぞれ神様がいた時代 (シード?プランニングYouTube 2020年9月13日)
着者コラム:
日本人はどうして山を信仰してきたか?「山の宗教」の歴史を読み解く (讲谈社 | 現代新書ホームページ 2020年7月14日)
书评:
吉田智彦 評「山の宗教を丁寧に読み解く」 (YAMAKEI Online 2020年10月22日)