カズオ?イシグロと日本 幽霊から戦争责任まで
本书『カズオ?イシグロと日本』は、2017年にノーベル文学赏を受けた英语作家カズオ?イシグロについて、《日本》というテーマから掘り下げた论文集である。イシグロの小説を「日本らしさ」にまつわるステレオタイプに还元するのではなく、新资料の研究と丁寧な歴史化によって、彼の诸作品を复雑に规定する「日本」と「世界」との紧张関係を多角的に考察することを目的としている。
カズオ?イシグロは1954年に日本の长崎に生まれ、海洋学者だった父亲の仕事の都合で1960年に5歳にしてイギリスに渡った。2017年にノーベル文学赏を受けるまでの活跃はすでによく知られている。
イシグロは长编第一作の舞台を故郷长崎に置き、2020年には长崎被爆75周年のメッセージを寄せるなど、しばしば故郷への强い思いを表明してきた。だがその一方で彼は、特にそのキャリアの初期にはみずからの作品が固定観念的な「日本らしさ」と関连づけられることに强い戸惑いを表明してきた。じっさいイシグロの小説を过度に日本と関连づけることには、単纯化の危険もある。
本书ではそのような悪しき単纯化を回避し、その代わりに丁寧な资料调査や歴史化の作业を行うことで、従来は注目されてこなかったイシグロ作品の诸侧面にあらたな光を当てている。主な调査の対象となったのは、2017年からテキサス大学ハリー?ランサム?センターのアーカイヴで公开されているカズオ?イシグロ?ペイパーズである。このアーカイヴ资料はイシグロの小説の创作メモや资料やのほかに、未発表作品の草稿なども含んでおり、本书はこのアーカイヴ研究の先鞭をつけるものと位置づけられるだろう。
いわば本論集は「イシグロと日本」という古い皮袋にできるだけ新しい酒を入れたものであり、本書においてはじめて本格的に掘り下げられた話題も多い。例えば、未発表の小説草稿「長崎を逃れて」はイシグロと長崎原爆との関係を考えるうえで重要であり、実現しなかった吉田喜重監督による『遠い山なみの光』映画版もこの関連で興味深い。小説第二作『浮世の画家』における戦争責任の問題も正面から扱っており、イシグロの「信頼できない語り」技法の発展において黒澤明の映画『羅生門』(1950) からの影響が果たした役割についても一章を割いて考察している。80年代なかばにイシグロが企画した「日本の幽霊」をめぐるTVドキュメンタリー案は、初期イシグロ小説におけるゴシック性と深い関係を持っている。イシグロの初期短編や上海を舞台とした小説の精緻な精読も収録されている。これらに加えて本書は、レベッカ?ウォルコウィッツ、マイケル?サレイ、レベッカ?スーターによる英語論文の翻訳も掲載している。
「世界文学」の巨匠としての地位を确立したイシグロは、いま「日本」からどれほど离れているのか。それを知るためには、その出発点にあったに违いない「日本」――けっして自明ではない、不透明な「日本」――を多角的に復元する作业が必要だろう。イシグロの小説を掘り下げることで、私たち自身も抱きがちなステレオタイプ的日本像の里にある异貌の「日本」を浮き彫りにすることをねらう论文集である。
(紹介文執筆者: 総合文化研究科?教养学部 准教授 秦 邦生 / 2022)
本の目次
イシグロの背信 レベッカ?L?ウォルコウィッツ/井上博之 訳
夕餉に响く山の音とキリストの声 荘中孝之
未刊行の初期长编「长崎から逃れて」――カズオ?イシグロの描く原爆 麻生えりか
幻のゴースト?プロジェクト――イシグロ、长崎、円山応挙 加藤めぐみ
フィルムのない映画――吉田喜重による『女たちの远い夏』 菅野素子
『浮世の画家』を歴史とともに読む 田尻芳树
イシグロの名声 マイケル?サレイ/奥畑 豊 訳
自己欺瞞とその反復――黒澤明、プルースト、『浮世の画家』 秦 邦生
『わたしたちが孤児だったころ』における故郷への违和感と失われた母语 叁村尚央
「蜘蛛であること」――カズオ?イシグロの二世界文学 レベッカ?スーター/与良美紗子 訳
摆コラム闭
イシグロと近代日本の歴史 秦邦生
イシグロとエドワード?サイデンステッカー 秦 邦生
狈贬碍ドラマ『浮世の画家』 田尻芳树
『上海の伯爵夫人』の憧れ 叁村尚央
「イシグロと日本」文献绍介 叁村尚央
あとがき――「日本」から遠く離れて 秦 邦生
関连情报
温又柔 (作家) 評 (『朝日新聞』2021年1月9日(土) 読書欄13版S 14頁)
讲演会:
学術講演会「カズオ?イシグロと〈始まり〉の探求」 (成城大学大学院 文学研究科 2021年12月2日)