思想史の中の日本と中国 第滨部 歴史の「基体」を寻ねて
本書は、中国の思想史研究者である孫歌氏が、日本の中国思想研究者の溝口雄三氏を論じたものです。とくに溝口氏の最初の著書である『中国前近代思想の屈折と展開』を精緻に読解しました。溝口氏は『中国前近代思想の屈折と展開』で、中国の明末清初の思想家である李卓吾を論じています。つまり本書は、一六世紀中国の李卓吾を二〇世紀日本の溝口氏が論じたものを、現在の中国で活躍する孫歌氏が読み解いたもので、さらに言えば、それを私が日本语に翻訳したという複雑な入れ子構造になっています。
少し整理しましょう。中国で明末清初は、政治的に王朝交代という激动があったばかりでなく、社会の构造が大きく変わった时期であり、人々の価値観や思想も変动した时代でした。李卓吾はその変动を体现する思想家です。ただ李卓吾の文章は难解なことで知られています。沟口雄叁氏は难解な李卓吾の文章を、できるかぎり正确に理解することを目指しました。その上で、李卓吾の思想の论理构造を、李卓吾に即して理解しようとしました。さらに、それを中国の思想史の脉络に位置づけることで、李卓吾に体现される明末清初の中国の大変动を明らかにしようとしました。
さて孙歌氏は、沟口雄叁氏の着书をできるかぎり正确に理解しようとしましたが、しかし沟口氏の李卓吾理解そのものが正しいかどうかを论じることはしませんでした。そうではなく、孙歌氏の言叶を借りれば、沟口氏の「认识の枠组み」を问いました。「认识の枠组み」とは、沟口氏の李卓吾论を根底において支えている思考のあり方のことです。
そこから孙歌氏は、たとえば、沟口氏が「形而下の理」を重视したことに着目しました。「形而下」とはもちろん「形而上」に対する言叶です。抽象的、理念的な次元を指す「形而上」に対して、「形而下」は现実的、日常的な次元を指します。日常的な次元の条理を见いだそうとするのが「形而下の理」です。孙歌氏は「形而下の理」に注目し、沟口氏の认识の根底にある歴史への姿势を明らかにしました。孙歌氏によれば、沟口氏は、歴史を、理念に回収することのできない、雑然として、つねに変化し続ける流れとしてとらえ、その脉动に直接向き合おうとしたと言います。
「形而下の理」が重要なのは、固定的な理念に回収されることを避けて、日常性の次元において、现実の変动をありのままに受けとめるという思考のあり方が、私たちにヒントを与えてくれるからです。つまり、孙歌氏は沟口氏の着书を読み解き、「形而下の理」を论じることを通じて、自分たちの「认识の枠组み」を揺り动かそうとしたのです。现代人の认识はいつの间にか固定しています。それを解き放ち、新しい认识を模索することが、本书の先にある课题だと言えるでしょう。
本书で主として探索されているのは、中国の歴史をどのようにとらえるかという问题です。しかし中国の歴史を考えることは、中国という一国の特殊な问题ではありません。それは私たちの「认识の枠组み」を刷新し、新たな普遍を求めることにもつながるのです。
(紹介文執筆者: 人文社会系研究科?文学部 教授 鈴木 将久 / 2021)
本の目次
上编 中国の歴史の脉动に真を求める
一 飢饿感と切迫感――生命感覚が跃动していた明末
二 「已むを容れざる」――妥協を許さない観念感覚
叁 童心説――沟口雄叁の思考方法
四 立论しないこと――求められる思想史の修练
五 「形而下の理」――オルタナティブな普遍の原理を求めて
六 方法としての中国――経験の奥にある构造的な想像力
下编 中国の歴史の「ベクトル」
一 「自然」と「作為」の结合
二 人生に内在する形而下の理
叁 中国の公と私
四 分有される法则――中国の歴史の基体
五 郷里空间と郷治运动
訳者あとがき
関连情报
孫歌 (著)『思想史中的日本与中国』 (上海交通大学出版社 2017年1月)
2019年东アジア出版着作赏受赏
书评:
中島隆博 (東京大学东洋文化研究所教授) 評 (『中国研究月報』第886号 2021年12月)