クィア?スタディーズをひらく 1 アイデンティティ,コミュニティ,スペース
クィアとは、もともと英語圏においてodd (奇妙な)、strange (変な)、not normal (普通でない) という意味をもつ言葉である。このことと関連し、クィアは歴史的に「異性愛」的でない人たちに対する軽蔑的かつ侮蔑的な意味合いをもつ用語としても使用されてきた。ここでいう「『異性愛』的でない」とは同性愛であることを当然含んでいるが、それ以外にも、社会において「適切」でないとされる男性性?女性性を体現していることや、世代間連鎖の中に埋め込まれない生き方をすることなども含みうる。すなわちクィアとは、その社会において規範的とされている性 (ジェンダー / セクシュアリティ) のあり方から外れていると見なされる人びとを「異常」な存在として他者化し、かれらの存在価値を貶め傷つけると同時に、かれらを恥じ入らせることで規範的なあり方に自ら同化していくよう仕向ける機能をもった言葉だった。
この非常に否定的な意味合いをもつ言叶に変化が生じたのは、1980年代前半に始まるエイズ危机をきっかけに新たな展开を见せた性的マイノリティの运动においてであった。この运动において、「クィア」という侮蔑语を簒夺し、自らのあり様を指し示す言叶として用いる人びとが现れる。その过程の中で、「クィア」という言叶は、社会的に「望ましい」とされるジェンダーやセクシュアリティの规范に抵抗する政治にとって有効な视点として再机能化されていったのである。
日本においても1990年代後半から、「クィア」という言葉が用いられ始め、LGBT (レズビアン?ゲイ?バイセクシュアル?トランスジェンダー) として細分化されていた、セクシュアル / ジェンダー?マイノリティを、緩やかな集まりとして表現することを可能にしている。と同時に、ジェンダーやセクシュアリティの規範に抵抗する思想や運動は、クィア?スタディーズと呼ばれる研究領域として結実し、現在、蓄積を深めている。
シリーズ『クィア?スタディーズをひらく』は、クィア?スタディーズの現段階での見取り図を作成し、その蓄積を、まだ出会えていない他者との出会いを可能にするような形で社会に送り出したいという願いから生まれた。第1巻では、クィア?スタディーズにおいてもっとも重要な位置にある言葉のひとつである「アイデンティティ」とその基盤となりうる「コミュニティ」や「スペース」に焦点をあて、クィアの視点からこれらを論じるとともに、性的マイノリティの主流の歴史から取りこぼされがちな問題を取り上げている。本書で紹介されている、性的マイノリティによるさまざまな実践の歴史を通して、近年、日本社会でも進んでいるように見える「LGBTの可視化」を批判的に捉え直すとともに、「クィア」という視点が「セクシュアル / ジェンダー?マイノリティ」の問題を超えて、社会に投げかけている問いを受け取ってもらいたい。
(紹介文執筆者: 教育学研究科?教育学部 特任助教 飯野 由里子 / 2021)
本の目次
第1章 1970年代以降の首都圏におけるレズビアン?コミュニティの形成と変容 ― 集合的アイデンティティの意味づけ実践に着目して 杉浦郁子
第2章 クローゼットと寛容 ― 府中青年の家裁判はなぜゲイ男性によって批判されたか 風間 孝
第3章 女性同性爱と男性同性爱、非対称の百年间 前川直哉
コラム イスラエルの戦争犯罪に共犯する東京レインボープライドとわたしたち 小野直子 (フツーのLGBTをクィアする)
第4章 コミュニティを再考する ― クィア?LGBT映画祭と情動の社会空間 菅野優香
第5章 教育実践学としてのクィア?ペダゴジーの意义 渡辺大辅
コラム 学校でLGBTをどう扱うか ― 十年間の経緯と、これから 遠藤まめた
第6章 クィアとキリスト教 ― パトリック?S?チェンによるクィア神学の試み 朝倉知己
コラム 同性愛の発見と発明 ― 米軍におけるセクシュアリティの歴史 高内悠貴
第7章 怒りの炎を噴く ― クィア史におけるアジア太平洋系アメリカ人のアクティヴィズムを記念して エイミー?スエヨシ (佐々木裕子 訳)
コラム 厳しい政治的条件下で手段を尽くして运动をすすめる中国の尝骋叠罢 远山日出也
関连情报
書籍紹介「ざ?ぶっく」 (月刊『We learn』No.796 2020年5月)
関连记事:
2019年売上数ベスト10入り (晃洋书房 2019年)