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东京大学教员の着作を着者自らが语る広场

深緑の表紙に古典の写真

书籍名

「国书」の起源 近代日本の古典编成

着者名

判型など

240ページ、础5判

言语

日本语

発行年月日

2019年9月6日

ISBN コード

9784788516441

出版社

新曜社

出版社鲍搁尝

学内図书馆贷出状况(翱笔础颁)

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東京大学グローバルCOE「共生のための国際哲学教育研究センター」(UTCP) の活動の一環として2012年に刊行したブックレット『近代日本の国学と漢学――東京大学古典講習科をめぐって』を増補し、品田と齋藤の共著書として刊行したもの。全6章のうち、最初の2章は旧著から引き継いで訂正を加えた部分であり、第3~6章は本書刊行に際し増補した部分。第1?第4?第6章を品田が、第2?第3?第5章を齋藤が執筆。
 
和漢のもろもろの典籍は前近代には一体の知的資源をなしていたが、近代初頭には和文のテキストのみを「国書」と認定する見方が成立する。「漢書」はそこから排除されたかに見えるが、実は近代日本语の形成に不可欠な資源でありつづけた。国書と漢書をめぐる複雑な動向を近代日本の古典编成の問題として俎上にのせ、多角的に追究したのが本書である。以下、品田執筆分について紹介する。
 
第1章は、1882年に东京大学文学部付属机関として発足した「古典讲习科」について、その设置目的を探る。藤田大成氏の大着『近代国学の研究』は一次资料を博捜したうえで同科を「国学者养成机関」と规定したが、「国书课」と并んで「汉书课」が设置された点や、1882年に设置されて短期间で廃止された点をも含め、明治国家と东京大学?帝国大学が学知としての国学?汉学に何を求めたのか、総合的に判断する必要がある。结论から言えば、诸资料は、明治十四年の政変が问题の焦点であることを强く示唆している。帝国宪法体制の构筑が日程にのぼってきたとき、西洋の制度文物を移植する前提として日本の文化的「伝统」を再认识したり、再认识されたように装ったりする必要が生じ、そこに国学?汉学の知的蓄积が动员された。1886年に発足した帝国大学は、しかし、国学をそれ自体として発展させる意図を持たず、国学の遗产は近代的学知としての国文学に吸収され、和汉洋兼修の人材の手で组み换えられることになっった。
 
第4章は芳贺矢一の事跡を追跡する。国民性の追究を使命として出発した国文学の、草创期を代表する人物であり、国民文学史の编纂という具体的课题に付きまとっていたジレンマを突破すべく、民间伝承を称扬し、后の民俗学の出発に道を开いた。
 
第6章は、『万叶集』が明治中期から令和の初头まで、国民歌集という近代的装いとともに歩んできた道のりを见届ける。『万叶集の発明』以来の主张を简洁に要约した文章ともいえるが、旧着で手薄だった昭和戦前期および戦后期についても若干の新知见を加えている。
 

(紹介文執筆者: 総合文化研究科?教养学部 教授 品田 悦一 / 2021)

本の目次

はじめに
第一章 国学と国文学――东京大学古典讲习科の歴史的性格
第二章 汉学の岐路――古典讲习科汉书课の位置
第叁章 汉文とアジア――冈本监辅の轨跡と企て
第四章 国民文学史の编纂――芳贺矢一の戦略と実绩
第五章 国家の文体――近代训読体の诞生
第六章 『万叶集』の近代――百叁十年の総括と展望
関连资料集
おわりに

関连情报

书籍绍介:
徳盛 誠 <本の棚> (『教養学部報』616号 2020年2月3日)

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