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东京大学教员の着作を着者自らが语る広场

古代の人のイメージイラスト

书籍名

新装版 万叶集の発明 国民国家と文化装置としての古典

着者名

判型など

360ページ、四六判

言语

日本语

発行年月日

2019年5月10日

ISBN コード

9784788516342

出版社

新曜社

出版社鲍搁尝

学内図书馆贷出状况(翱笔础颁)

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19年前の着作であり、长らく品切れのままとなっていたが、改元の际の総理大臣谈话に接した昔の読者たちが、「马鹿なことを言うな。品田の本を読め」と厂狈厂上で话题にした结果、またたくまに新装版刊行となった。初版刊行后判明した新事実を巻末に五点掲げ、全体に误植の订正を施したが、それ以外は初版と同内容である。首相谈话にも表れていたような通念の成り立ちを批判的に再検讨した书として记忆されていたらしい。
 
日本が近代国民国家として立ちゆくためには、人々に「国民」という意识を行きわたらせる必要があった。この必要に促されて、过去の诸文献から和文の诸テキストが选出され、国民の古典と认定された。そうした古典群にあって『万叶集』は当初から至宝の地位を授けられ、やがて広汎な爱着を集めることになった。
 
『万叶集』を日本の国民歌集とする通念には、実は二つの侧面がある。
 
一つは、「古代の日本人真実の声があらゆる阶层にわたって汲み上げられている」というもので、もう一つは「贵族の歌々と民众の歌々が同一の民族的文化基盘に根ざしている」というものである。前者は明治中期に、后者は明治后期に形成されて、互いに补い合いながら普及し、昭和初期までに日本人の一般常识となった。
 
第一側面は早くから中等教育のカリキュラムに組み込まれ、明治末期から大正期を通じて増加した万葉愛読者、とりわけ万葉調歌人の活動を下支えした。この側面が形成された当時、和歌は文筆の所産と見なされていたから、『万葉集』に庶民の歌があると主張するのは、粗末な小屋で地面に藁を敷いて暮らす人々に読み書きができたと言い張るようなもので、明らかに非現実的だった。この点を取り繕う役割を果たしたのが第二句側面である。国民の一体性の根拠をフォルク (Volk 民族/民衆) の文化に求める思想がドイツから移植され、『万葉集』に導入された。具体的には、巻十四の東歌や巻十一?十二などの作者不明歌に「民謡 (Volkslied)」)という概念がほとんど無媒介に適用されていったのである。短歌は自然発生的な民謡の形式と見なされるとともに、貴族たちの創作歌を含む万葉歌全般の基盤が民謡に求められていった。
 
爱好者の増加?累积により国民歌集としての万叶像は裾野を拡げ、昭和初期には未曾有の万叶ブームを现出するのだが、ブームはやがて时局の荒波に饮み込まれていく。万叶歌全体から见れば例外的な作が国威発扬?戦意昂扬のために利用され、恣意的?一面的な大宣伝の対象とされる。そのため、终戦直后には『万叶集』を全否定する论调も现れかけるが、戦后の復兴期には日本人の自尊心を取り戻すために国语教材として盛んに利用され、一九六〇~七〇年代の第二次万叶ブームが生ずることになる。
 

(紹介文執筆者: 総合文化研究科?教养学部 教授 品田 悦一 / 2021)

本の目次

はじめに
第一章 天皇から庶民まで
 一 国民歌集の构造
 二 敷きの再発见という通念
 叁 金属活字版『万叶集』の出现
 四 一八九〇年という画期
 五 国民の全一性の表象
第二章 千年と百年――和歌の诗歌化と国民化
 一 国民歌集の前史
 二 『新体诗抄』と和歌改良论
 叁 国文学と国民文学
 四 子规のスタンス
 五 国民歌集と国民教育
第叁章 民族の原郷―舵手国民歌集の刷新と普及
 一 民謡の発明
 二 万叶びとの创成
 叁 异端者伊藤左千夫
 四 教育者の圣典――岛木赤彦の万叶尊重1
 五 伝統の発達――島木赤彦の万葉尊重2  
おわりに

関连情报

受赏:
第19回上代文学会赏受赏 (上代文学会 2001年)

 
书评:
松村正直 (歌人) 評 短歌時評 (『朝日新聞』 2019年4月21日)

 
自着解説:
着者コメント掲载 (『日本経済新闻』 2019年4月20日)
 
万叶集、「爱国」利用の歴史 「令和」の典拠、歓迎ムードに警鐘 (『朝日新闻』 2019年4月16日)

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