国家の哲学 政治的责务から地球共和国へ
国家はなぜ存在するのか。国家という制度は、いかにして正当化されるのか。本书は、国家の存在理由を再検讨し、国家の意义を解明することを目指している。
問いの背景にあるのは、国家に対する懐疑である。現在の地球には、課題が山積している。2015年の「国連持続可能な開発サミット」で採択された「持続可能な開発のための2030アジェンダ」の「持続可能な開発目標 (Sustainable Development Goals: SDGs)」には、「地球の課題 (global issues)」が列挙されている。貧困、飢餓、保健衛生、教育、ジェンダーの平等、エネルギー、雇用、インフラ整備、格差、気候変動、環境破壊、難民、租税回避などである。ここに挙げられている他にも、移民、テロ、内戦、武器管理、失敗国家など、迅速な解決を待つ地球の課題は数多い。こうした地球の課題は、一国家の内部にとどまらず地球全体に及ぶため、一つの国家で対処することができない。しかも、こうした課題の中には、国家の存在がむしろ問題を悪化させているように見えるものも少なくない。
今や、国家の存在理由という古典的な问题を问い返すべき时にある。この问题にアプローチするときに本书が探究するのは、政治的责务というもう一つの古典的问题である。个人が国家に対して负う责务は、政治体に対する责务という意味で、政治的责务と呼ばれる。个人は国家に対して义务を负うか、负うとすればその根拠は何か、という政治的责务の问いは、自らが不当と考える判决に従って刑死したソクラテス以来、法哲学の根本问题となってきた。
この根本问题に対して、これまで多种多様な理论に基づく回答が提案されてきた。その理论の论理构造を解きほぐし、入念に分析するプロセスを通じて、本书が最终的に辿り着くのは、地球共和国という世界秩序构想である。现在の地球に欠落しているのは、地球共和国である。国家は、地球共和国へ至る暂定的状态としてのみ正当化できるというのが、本书の结论である。
いわゆる世界政府论は、これまで多くの批判が投げかけられてきたこともあり、お世辞にも有力な学説とは言いがたい。しかしながら、国家が正统性を持ちうるとするならば、それは地球共和国へ至る暂定的状态として理解できるものでなければならないというのが、本书の结论である。実のところ、この研究プロジェクトを开始したときに、私自身このような结论に至るとは思いもしなかった。みなさんもいつか机会があれば、私とともにその行程を経験してもらいたい。
(紹介文執筆者: 法学政治学研究科?法学部 教授 瀧川 裕英 / 2020)
本の目次
第滨部 国民の共同体としての国家
第2章 人间関係から责务が生じる――関係的责务
第3章 国家は亲か? 国民は友か?――関係的责务论
第4章 普遍的な父の下における兄弟――原理の共同体论
第滨滨部 同意によって构筑された国家
第5章 同意は义务づける――明示の同意论
第6章 居住や投票は同意か?――暗黙の同意论
第7章 仮説の同意は同意か?――仮説の同意论と同意の批判理论
第滨滨滨部 人々に利益をもたらす国家
第8章 国家は自己利益を最大化する――自己利益论
第9章 国家の恩に感谢する――感谢论
第10章 国家の存続に个人の遵法は必要か?――必要テーゼ
第11章 あなたが负うから私も负う――フェアプレイ论
第12章 一般的な遵法义务は存在しない――哲学的アナキズム
第13章 国家は自然状态よりよいか?――自然状态テーゼ
第滨痴部 义务を果たす手段としての国家
第14章 人间が当然に负う义务――自然义务论
第15章 正义の制度を支持する义务――正义の自然义务论
第16章 法的状态を実现する义务――法的状态実现义务论
第17章 国家は分业である――割当责任国家论
终 章 政治的责务と遵法义务
関连情报
郭舜 评「我ら地球共和国市民」 (『図书新闻』3337号 2018年02月03日)
横濱竜也 評「政治的責務論は何を問うべきなのか」 (有斐閣『法哲学年報 (2018)』 2019年11月)
横濱評へのリプライ 瀧川裕英「法的状態というユートピア――横濱竜也会員の書評に応答する」 (有斐閣『法哲学年報 (2018)』 2019年11月)
宇野重規 評「政治的責務論から国家を論じる壮大な試み」 (信山社『法と哲学』第4号 2018年7月15日)
宇野评へのリプライ 瀧川裕英「地球共和国とその実现可能性について――宇野重规氏への応答」 (信山社『法と哲学』第5号 2019年6月30日)