模范像なしに 美学小论集
『模范像なしに――美学小论集』は、晩年のアドルノが『美学理論』の執筆のかたわらで発表した美学関連の論考や講演を収録したエッセイ集である。アドルノの芸术哲学において音楽が特権的な地位を占めていることはよく知られているが、ここに収録されたテクストのなかで狭義における音楽論は――バロック音楽を徹底的に批判した論考を除いては――ほとんどなく、絵画、建築、映画、芸术におけるマネージメントの問題など、これまでアドルノ美学とは縁遠いと見なされてきたジャンルや対象を扱ったものが多くを占めているのがその最大の特徴である。しかも、その際にアドルノは、抽象的で観念的な議論をひたすら展開するのではなく、フランス印象派の絵画、ホテルのロビーを飾る通俗絵画、ロースの建築デザイン論、チャップリン、ニュー?ジャーマン?シネマ、さらには不条理演劇やハプニングなど、きわめて具体的な対象を議論の俎上に上せており、あたかも音楽や文学以外の事柄について考察するなかで、みずからの美学的思考の射程をあらためて問い直そうとしているかのようだ。モダニズム芸术の文化保守主義的な護教論として片づけられがちなアドルノ美学であるが、これらのテクストは、そのなかにいまだに汲みつくされていない可能性がなおも眠っていることを告げているのである。
『模范像なしに』のさらなる特徴として、幼いころに夏季休暇を過ごしたアモールバッハをはじめ、ウィーン、ジルス?マリーア、ルッカといった土地にまつわる断章形式のエッセイが収められていることが挙げられる。子どものころの記憶や滞在した都市について数多くの印象的なテクストを執筆したベンヤミンとは異なり、アドルノがみずからの過去について語ることはきわめて稀であり、その意味でこれらの文章はアドルノの著作のなかでも例外的であると言える。だが、アドルノの思想において幼年時代や知覚経験といった契機にきわめて重要な意義が付与されていることに鑑みるならば、ここに収録された回想録風のエッセイのうちに、アドルノ哲学の核心部分に密かに触れるようなモティーフを読み取ることもできるだろう。「交換不可能なものである幸福の経験がつくられるのは、ある特定の場所においてのみである」(「アモールバッハ」) ――アドルノがその生涯において芸术について繰り返し論じるなかでつねに追い求めていたのは、まさにこの「交換不可能なものである幸福の経験」だったのではないだろうか。
(紹介文執筆者: 総合文化研究科?教养学部 准教授 竹峰 義和 / 2018)
本の目次
2. アモールバッハ
3. 伝統について
4. ジュ?ド?ポーム美術館での走り書き
5.シルス?マリーアより
6. 好ましからざるもののすすめ
7. 文化产业についてのレジュメ
8. ある世話人への追悼文
9. 映画の透かし絵
10. チャップリン二編
11. 芸术社会学に関するテーゼ
12. 今日の機能主義
13. ルッカ日誌
14. 悪用されたバロック
15. ウィーン、一九六七年のイースターのあとで
16. 芸术と諸芸术
解题
あとがき