ラカン『精神分析の四基本概念』解説
いまからすると少々想像しづらいかもしれませんが、年末恒例の「新语?流行语大赏」、その第1回(1984年)の受赏语には、思想用语も选ばれていました。いわゆるフランス现代思想が文字通り流行していた、1980年代のことです。30年以上が経ち、そうした现象はさすがに终焉したように见えます。とはいえ结局、当时の人々をそれほどまでに惹きつけたその思想の核心と魅力は、要するになんだったのでしょうか。―思想の内容を正确に読み解き、その意义を汲み取る试みのほうは、まだ终わっていないどころか、流行が一段落したいまだからこそ、ますます重要となってきているとも言えます。
さて、その现代思想の歴史でもっとも重要な位置を占めてきたものの一つに、ラカンの精神分析の思想があります。ラカンは、とはいえ非常に难解なことでも有名で、テクストに即して理解しようとすると大変厄介なものです。ラカンのテクストは、一文自体が难解なうえに、全体が飞跃や断絶や反復をはらんで错综しており、おまけに(当初の编集方针等々の事情で)近年に至るまで解説はおろか注にも索引にも恵まれぬ状况が続いてきたからです。―ラカンについても流行によらない正确な受容がこのさきますます重要となるとして、まず必要なのは、难解なテクストそのものにアクセスするための、导入的アプローチということになるでしょう。
ここに绍介する『ラカン『精神分析の四基本概念』解説』の意义は、まさにそこにあります。ラカンの讲义録の一つ『精神分析の四基本概念』は、「対象a」「享楽」等々、后期のラカンの基本概念を理解するうえで重要な位置を占め、また「ラカン自身によるラカン入门书」とも呼ばれていて、现代思想の様々な文脉で言及されているテクストです。とはいえ、やはりわかりやすいとはおよそ言い难いために、テクストに即した解説の必要性が、専门の内外でかねてから指摘されてきました。本书は、そうした试みの皮切りであり、ラカンのテクストに即しつつ、一文を言い换え论点を繋ぎ背景を补うことで、错综した议论の道筋を再构成しています。そしてそれによって、必ずしもラカンを専门とするわけではない人も含め、様々な関心?分野の人々がラカン自身を通じてラカンに入门する足がかりとなることを目指しています(実はかく言う私自身がその一人であり、またそういう视点を持つ人が执笔に加わっているのも、本书の际だった特徴です)。
上记の趣旨からして、この场で思想の中身をいちいち解説することはしませんが、まずは议论のイメージを掴みたいという人には、「滨痴讲」から「痴滨滨讲」までを试し読みすることをおすすめします。哲学や文学や絵画とも接点の多い议论ですから、専门外の人にもとっつきやすい箇所と言えます。とはいえ望ましいのはやはり、巻末の「キーワード别 縦読みガイド」などを足がかりに、顺を追って全体を通読することです。そうして様々な分野の人が、自分の手で议论の道筋を辿り直すことで、ラカンの思想、ひいては现代思想の理解への入り口に立つことができたならば、本书はその目的を果たしたことになるでしょう。
(紹介文執筆者: 人文社会系研究科?文学部 助教 池松 辰男 / 2018)
本の目次
I講 破門
II講 フロイトの無意識と我々の無意識
IV講 シニフィアンの網目について
V講 テュケートオートマトン
VI講 目と眼差しの分裂
VII講 アナモルフォーズ
VIII講 線と光
IX講 絵とは何か
X講 分析家の現前
XI講 分析と真理、あるいは無意識の閉鎖
XII講 シニフィアンの列の中の性
XIII講 欲動の分解
XIV講 部分欲動とその回路
XV講 愛からリビードへ
XVI講 主体と大他者—疎外
XVII講 主体と大他者(II)—アファニシス
XVIII講 知っていると想定された主体、最初の双数体、そして善について
XIX講 解釈から転移へ
XX講 君の中に、君以上のものを
注
キーワード别:縦読みガイド
関连情报
原 和之 (東京大学教授) 評:『セミネール』へのもう一つの「入り口」 (『週刊読書人』 2018年6月1日掲載 3241号)