京都の歴史を歩く
年间5,500万人をこえる観光客数を夸る京都。なぜそれほどまでに人が赴くかといえば、この地に日本の歴史や文化が凝缩していると考える人々が多いからだろう。しかし、その歴史や文化を研究している研究者の目からみると、访れる人々がふれる情报には偏りがあり、なおかつ根拠不明のものも少なくない。集客が意识されればされるほど、歴史情报はいわば商品化され、商品化に适さないと判断される情报は排除され埋もれていく。歴史は本来、消费されるためにあるのではなく、学び、伝えるためにあるものなのに&丑别濒濒颈辫;?
本书は、このような状况に违和感をおぼえる日本史研究者3名で书いた、京都のガイドブックである。「はじめに」にあるように、まる6年かけて、埋もれがちな京都の歴史を象徴する「道」と「场」を选び、歩き、议论を重ね、书いた本である。私自身は、ハンセン病の歴史とかかわりの深い清水坂や、灾害の歴史を伝える场としての鸭川流域、「日本国王」足利义満の事绩を伝える北野?北山、キリシタン殉教の道、朝鲜通信使の道、の5つを取り上げている。この5つの例からも明らかなように、実际に存在する「道」の歴史をたどる场合もあれば、あるテーマにそった歴史痕跡を结び合わせてできた架空の「道」をたどる场合もある。いずれの场合も、実际に読者が歩いてたどれるよう、章ごとに地図がついている。
もともと14~16世纪の京都の个别寺社研究から出発している私にとって、灾害の歴史や、キリシタンの歴史、さらには17~18世の朝鲜通信史の歴史を叙述するのは冒険に等しい行為であった。けれども、共着者の高木博志氏?小林丈広氏いずれも近代京都研究を専门とされているお二人が、京都の「近代化」の意味を问うため、前近代の歴史研究に対しても真挚に向き合う姿を目の当たりにするうちに、中世京都の行く末に无顿着であってよいのか、自问するようになった。
一方で、このガイドブックに示した歴史情报もまた、新たな京都イメージの発信として消费されていくことは避けられない。埋もれた歴史を掘り起こすことが、どのように现代の地域社会に影响を与えてしまうのか、不安に思いながら书いた章もある。书いたものを、あらかじめ地域の方に読んでいただき、交流しながら书き进めてみる、という作法を教えて下さったのもまた共着者であった。
本书执笔后も、京都の観光客数は増加し続けている。京都の「歴史」にひかれ集まる人々に、どのような「歴史」をどのように伝えていくか。引き続き考えながら、京都の歴史研究を进めていきたい。
(紹介文執筆者: 人文社会系研究科?文学部 准教授 三枝 暁子 / 2017)
本の目次
第I部 都市に生きた人びと
第1章 室町と山鉾の道―町衆と図子
第2章 開化と繁華の道
第3章 清水坂の歴史と景観
第4章 キリシタンの道
第5章 鴨東開発の舞台―岡崎周辺
第II部 京の歴史が動くとき
第6章 大礼の道―皇居から京都御苑へ
第7章 「日本国王」の道―北野と北山を歩く
第8章 災害の痕跡を歩く―鴨川流域をたどる
第9章 志士の道―高瀬川と明治維新
第10章 学都京都を歩く
第滨滨滨部 人が行きかい、物がめぐる
第11章 朝鮮通信使の道―大徳寺から耳塚へ
第12章 牛馬の道―東海道と山科
第13章 古典文学と嵐山?嵯峨野の近代
第14章 幽棲と共生の里を歩く―洛北岩倉
第15章 「京都らしさ」と宇治―世界遺産と文化的景観
おわりに寄せて
参考文献