
书籍名
科学と社会 戦前期日本における国家?学问?戦争の诸相
判型など
256ページ、础5判
言语
日本语
発行年月日
2014年9月25日
ISBN コード
978-4-7819-1345-2
出版社
サイエンス社
出版社鲍搁尝
学内図书馆贷出状况(翱笔础颁)
英语版ページ指定
本書の著者は大学の1、2年生に科学史や科学技术基礎論の講義を行っている。どのような科目にもそうした傾向はあろうが、1、2年生向けの講義で取り上げる材料は、深く検討すればすぐに最先端の研究課題となりうる。科学史、特に日本の科学史ではそのような例は多く、本書は著者が行ってきた講義と関連の深い研究を集めて、明治維新から第二次大戦までの日本の科学の歴史を綴ろうとした試みである。
叙述はほぼ时代顺に进むが、特徴としては、日本の外で発生したとみなさざるを得ない科学について、その学问としての特徴と発生の経纬をまず记した点にある。科学が何であるかという问いには答がないというのが通説であるが、着者は问い方によっては答を见つけることができ、その答は科学の歴史を描くうえで有益な示唆を与えると考えている。
外国由来の科学を日本が受け入れる経纬については、西洋の文物への反応の一环に科学への対応を位置づけることによって论じようとした。科学が受容されるのは当然であるという姿势はとっていない。次いで、具体的に科学を身に着けて使いこなしていく最初の世代から、木村骏吉という人物を选んで、明治の人々の経験を描写しようとした。木村は、第一高等中学校(现在の东京大学教养学部)に勤务し、内村鑑叁をここに招いた人物で、内村の不敬事件の影响で自身も退职を余仪なくされたのち、イェール大学に留学して、数学者?物理学者?化学者のギブスの指导下で博士号を取得した。しかし、もっともよく知られている业绩は、日本海海戦などで用いられた叁六式无线电信机の开発であろう。「敌舰见ユ」を打电したのはこの无线电信机である。
木村に见られるように、戦前期から日本の科学者は世界の同业者たちに果敢に挑戦して成果を挙げていた。1915年に世界で初めて人工的に癌を発生させることに成功した山极胜叁郎、単一神経线维を取り出して実験材料とすることに成功した加藤元一などを取り上げて、日本の科学研究の础がすでに戦前期には相当程度筑かれていたことも示した。生活に関わる领域でも科学の影响は及んでおり、その具体例として、医学研究が被害の甚大化をもたらしたともいえる脚気や、変転する科学研究に法律家がどう対応したかを示す盗电の法理などを取り上げた。
木村の例に见る通り、日露戦争からすでに科学と戦争との関わりは生じており、第二次大戦に関しては、日米における戦时动员や原子爆弾の开発について、これに関わった科学者の、国家と科学の関係についての见解を中心に论じた。日本の降伏をもたらしたものは原子爆弾であったのかソ连参戦であったのかについても一応の答を示している。また、あまり注目されることはないが、第一次大戦后の日本の科学者の言动は、彼らの国外に向けた意识を読み取ることのできる兴味深い材料でもあるため、当时の世界情势と合わせて分析を试みた。
(紹介文執筆者: 総合文化研究科?教养学部 准教授 岡本 拓司 / 2016)
本の目次
第1章 科学とは何か
第2章 科学はどのようにして生まれたか
第3章 科学と出会った日本 - 明治維新前後 -
第4章 何のために、どこまで西洋化するのか
第5章 挑むための受容
第6章 木村駿吉の経験 (1) - 不敬事件まで -
第7章 木村駿吉の経験 (2) - アメリカ留学へ -
第8章 木村駿吉の経験 (3) - アメリカ留学から第二高等学校教授時代まで -
第9章 木村駿吉の経験 (4) - 無線電信機の開発とその後 -
第10章 明治の脚気 - 科学技术がもたらした危機 -
第11章 盗电の法理、穂积陈重の逡巡
第12章 北里柴三郎と山極勝三郎 - 医学研究の躍進と国際評価 -
第13章 第一次大戦後の科学界 - ドイツ人排斥と日本の科学者 -
第14章 アインシュタインがやってきた
第15章 加藤元一の神経伝导不减衰説
第16章 量子力学が意味したもの (1) - アメリカの場合 -
第17章 量子力学が意味したもの (2) - 日本の場合 -
第18章 第二次大戦下の物理学者 (1) - アメリカでの一断面 -
第19章 第二次大戦下の物理学者 (2) - 日本の動向 -
第20章 科学は危机をどう生き延びたか
あとがき