叁つの世界の狭间で 西欧?ロシア?オスマンとワラキア?モルドヴァ问题
副题に『ワラキア?モルドヴァ问题』とあるものの、本书はルーマニアの歴史の本ではない。ワラキアとモルドヴァという、领域的に现在のルーマニアの主要部分を成す二つの公国に焦点を当てながらも、その周囲に位置する西欧诸国、ロシア帝国、オスマン帝国が、18?19世纪にこの両公国の问题にどのように関わりそして相互に関係を深めていったのかを、それぞれの史料を参照しながら検讨したものであり、近世近代移行期におけるヨーロッパ大陆周縁部の国际関係を扱った本である。
一般に、現代グローバル世界形成の歴史的過程として、前近代まで地球上の各地に存在していた「文明圏」あるいは「文化世界」としての諸「世界」が、近世以降の「西欧世界」による対外進出により、次第に西欧中心のシステムに包摂され、その結果、地球を一つのシステムが覆うことになった、と理解される。もちろん大枠ではそのような理解が妥当だとしても、その実際の歴史的プロセスはそれほど単純なものではなかったに違いない。では、具体的にどのようにして結びついていったのか? カトリックを文化的基盤とする「西欧世界」の諸列強、ギリシア正教圏としての「東欧世界」の盟主ロシア帝国、そして「イスラーム世界」を代表するオスマン帝国という、三つの「世界」の諸政治勢力が激しくせめぎあったバルカン、その中でも、18世紀後半から19世紀前半のワラキア?モルドヴァ、という時間と空間に限定して、具体的実証的にその結びつきの過程を検証したのがこの本なのである。
现在のルーマニアの地はオスマン帝国による征服后も自らの国を持ち続け、属国として帝国秩序に连なった。帝国辺境という地理的条件に加え、こうした间接支配であったがゆえに、18世纪になるとこの両公国には、他のバルカン地域に先がけて诸外国の影响が见られることになる。18世纪后半のロシアによるこの地域への本格的な関与を皮切りに、ハプスブルク帝国、フランス、イギリスが次々と进出を开始し、18世纪后半以降、それまでオスマン帝国の内政问题であった両公国问题は、列强が深く関与する重要な国际问题になった。その结果、同问题をめぐってロシア、オスマン帝国、西欧诸国という政治势力は相互に関わりを深め、叁つの「世界」がさらに结びついてゆく。同じことは、セルビア、ギリシア、ブルガリア、黒海通商、イスタンブル海峡通行などの様々な问题を通じても起こっており、こうした一连の积み重ねにより、いわゆる「世界の一体化」がおし进められることになったのである。
本书は、オスマン帝国辺境の属国の问题を通じて、オスマン帝国とロシアが共に、西欧诸国が形作るシステムに巻き込まれてゆく国际政治のダイナミックな动きを描いている。そのような问题にご関心のある方にご一読いただければ幸いである。
(紹介文執筆者: 総合文化研究科?教养学部 准教授 黛 秋津 / 2016)
本の目次
第1章 18世纪前半までの西欧?正教?イスラーム各世界间の政治的相互関係
- オスマン帝国の優位から西欧?ロシア?オスマンの均衡へ
第2章 18世纪前半までのワラキア?モルドヴァと周辺世界
- オスマン帝国との宗主?付庸関係、西欧?ロシアとのつながり
第3章 キュチュク?カイナルジャ条约
- 国際問題としてのワラキア?モルドヴァ問題の出発点
第4章 1774年以后の叁世界间の政治的相互関係
- ロシアとハプスブルク帝国によるワラキア?モルドヴァ進出の開始
第5章 共和国フランスのワラキア?モルドヴァ进出
- フランスとイギリスの両公国問題への関与の始まり
第6章 ナポレオン戦争期のワラキア?モルドヴァ问题
- フランス?ロシア?オスマン帝国の狭間で
终章 近代移行期における叁世界の中のワラキア?モルドヴァ
- その後の展望とまとめ
関连情报
松井真子氏 評『歴史学研究』No.942 (2016年3月) pp.56-60