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【Campus Voice】東京大学ホームカミングデイ 「越境する学び?研究?キャリア」イベントレポート

10月16日、これからの「越境する研究?学び?キャリア」をテーマとしたウェビナーが东京大学のホームカミングデーと连动して开催されました。

みなさんは「学际的」という言叶を闻いたことがありますか?
そう远くない未来、「学际」というキーワード抜きには东京大学を语れなくなるかも?もしかしたら、グローバル社会の未来すら语れなくなってしまうかもしれません!

今回は学际の最先端、「情报学环?学际情报学府(以下学环?学府)」から、分野の垣根を超えて活跃するパネリストたちの「越境するキャリア论」をリポートします。

型にハマらない将来を考えたい方、必见です!

2021.10.16
リポート/学生ライター
加藤 千遥(理学系研究科 博士課程1年)

1.情报学环?学际情报学府はどんなところ?

  • (スライド1)情报学环?学际情报学府の研究対象は「情报社会のすべて」

トークセッションに先立ち、山内 祐平 学環長より、学環?学府の歩みを紹介いただいた。

情报学环?学际情报学府は、「情报社会」を研究している大学院である。「学际」には「分野の壁を超える」という意味があるが、その名の通り、学环?学府の守备范囲は「情报社会」の全てに及ぶ(スライド1)。
「より良い情报社会を构筑するため、理系?文系?芸术系の垣根を超えて、&濒诲辩耻辞;环&谤诲辩耻辞;を作ってつながりながら研究を进めています」と山内学环长。必然的に、様々な専门性とバックグラウンドを持った学生と研究者が在籍することになり、その多様性は东大の中でもひときわ异彩を放つ。

このような环境で研究生活を过ごした卒业生たちは、社会に出て、どんなキャリアを歩み、どんな活跃をしているのだろうか?

2.第一部 「キャリアは一方向じゃない!ファッションがつなぐ日常?研究?テクノロジー」

登坛者(敬称略)
 戸谷 理衣奈(東京大学生産技術研究所 准教授)
 藤島 陽子(東京大学大学院 学際情報学府 博士課程)

モデレーター
 筧 康明(東京大学情報学環 准教授)
 松田 英子(東京大学情報学環 助教)


「キャリアは一方向に进んでいくものであろう(そうあるべきだ!)」と漠然と思っている人は多い。しかし、学环?学府ゆかりの女性パネリストたちの分野横断的な活跃は、「勘违い」「偶然」「挫折」「抵抗」などの紆余曲折によって生まれたものだった。
 

「応用人文学」という新しい文理融合型の研究分野を展开している戸谷先生。现在は、东京大学生产技术研究所を拠点としているが、元々は歴史が専门だった。子どもの顷から百人一首などの和歌や装束を见るのが好きで、自然と歴史に兴味が向いたという。しかし、中学校や高校で习う歴史、特に女性史は、参政権の获得など社会的文脉で语られるものがほとんどであった。「歌やファッション、恋爱など、もっとカラフルで日常的な女性の歴史があるのではないか。无いなら自分が书きたい」との志を胸に、东京大学に进学。

しかし、ファッションにおける意识変容の「歴史」が研究できると「勘违い」した结果、现代社会(过去ではない!)を调査対象とする文学部社会心理学科に进学してしまう。せめてもの「抵抗」として、英国の女流小説を题材に「镜の流通と女性心理の変容」を调査し、卒业论文を提出する。

念愿だった「カラフルな」女性史を研究するため、大学院ではイギリス科へ。英国女性の下着の変迁に着目し、美意识の変容と社会情势の変化との関连を研究した。国内には资料が少なく、夏休みに英国?ケンブリッジ大学を访れて文献调査をするほどの彻底した研究ぶりで、「下着の戸谷さん」と呼ばれるまでに。

顺调に女性史研究の道を歩んでいた戸谷先生に、第一の転机が访れる。

きっかけは、1年间留学したスタンフォード大学での青木昌彦先生との出会いだった。
青木先生は、全く异なる环境に多数のベンチャー公司を立ち上げるなど、非常に多彩な活跃をした先进的経済学者である。「青木先生の近くで色々なご縁を顶くことによって、横断的な人とのつながりができてきたんですね」。「横のつながり」が、想像もしなかった可能性を切り开いていく面白さを知り、深く感铭を受けた。研究を进める中で、「歴史研究をずっと続けることは、自分には合わない」と感じはじめていたこともあり、イギリス研究に见切りをつけ、青木先生の縁をたどり「产官学连携」分野の研究员へと一大転身を果たす。
その后、起业にも挑戦し、10年间公司の运営に携わった。

第二の大越境は、公司での仕事が落ち着き、、东大に戻ってきたことで访れた。贰惭笔(エグゼクティブ?マネジメント?プログラム)という社会人向けプログラムへ参加することを决意したのだ。
このプログラムでは、授业中に「结论の出ていない最先端の课题」に対する议论に集中するため、「必読约100册!」の事前学习が求められる。あらゆる知识を総动员して问题解决を进めるうち、元々理系に苦手意识があった戸谷先生も、「根本的な発想に近づくほどに、文理の壁は低くなる」ことを强く感じたという。复雑化する社会の中で问题解决にあたるためには、「文理融合」を推进するプロデューサー的役割が必要とされていることにも気がついた。
この问题意识を基に、现在は、新たな文理融合を実现するプログラムの开発を进めている。自身がスタンフォードで経験したように、全く违う分野の人と接することが日常的になる环境を、今度は东大で実现することが、戸谷先生の次の目标である。

戸谷先生から中学生?高校生の皆さんへのメッセージ

学部や学科という「ジャンル」にとらわれて「できること」を考えてしまうのは、よくあることだと思いますが、私は「可能性は常に流れている」と思っています。
私の同级生は大学院の入试に失败して研究の道に进むのをやめ、もう1つの目标であった司法试験を受けることにしました。今は弁护士として活跃しています。「あの时、院试に落ちてよかった」とよく言っています。
好きなことを勉强し、何かあったらまた违う选択をして进んでいってほしいです。常に选択肢はあると思います!

株式会社ZOZO NEXTに所属する藤島陽子さんは、学際情報学府の博士課程に在籍する現役大学院生でもあり、「アイデンティティはファッション研究者」と語る。しかし、もともとファッションの研究者を目指していた、という訳ではない。

「中高生の顷からファッションが大好きで、ずっとデザイナーになりたいと思っていました」と藤岛さん。高校3年生までは理系、大学は文学部という紆余曲折の中でも、自身のコアは常にファッションにあった。大学の4年间は创作とファッションショーの运営に注力。大学卒业后は、デザイナーになるという梦を叶えるため、ファッション分野で世界的に有名なロンドン芸术大学に留学した。

しかし、梦への道は平坦なものではなく、そこには挫折があった。商业的なサイクルや、ファッション界の伝统的な価値観の中で、思うように评価を得ることが叶わず、留学も途中でやめてしまった。
デザイナーへの梦を諦めた藤岛さんは、ファッションを「创る」立场から、「论じる」立场への転换を决意する。非常に优秀なデザイナーであっても、产业界にポジションを得て、キャリアを积み重ねていくことには苦戦を强いられていた。「そういう人たちの现状を见て、どんなものがファッションとしての価値を持つのかを解き明かしたり、プラットフォームを整备したりしていくことで、自分がファッションに贡献できるかもしれない」と考え、学际情报学府の修士课程に进学。ファッション作品に文脉をつけて伝えるメディアの役割に着眼し、ファッション展の研究を开始する。

修士課程の修了後には、「ファッション研究者」として就職したいと考えていた藤島さん。元々、民間企業への就職は頭になく、アカデミア(大学や研究機関での研究者)を目指していた。大学の求人サイトで「ファッション 研究」と検索すると、当時、ZOZOが立ち上げていた新しいファッション研究所がヒットする。しかし、その応募資格は明らかに理系を対象としたものであった(スライド2)。

そこで、藤岛さんはこの状况を罢飞颈迟迟别谤で呟いてみることにした。「窜翱窜翱テクノロジーズさん、文系のファッション研究者も雇ってください&丑别濒濒颈辫;。
 
  • (スライド2)当时の応募资格と窜翱窜翱につながるきっかけとなったツイート

その后、ツイートを见た窜翱窜翱から连络があり、交流が始まる。
「たまたま罢飞颈迟迟别谤に反応がきて、そこから民间公司への就职を考え始めた」。
现在は、窜翱窜翱所属のファッション研究者として、ファッションとテクノロジーに関するメディアコンテンツの制作に携わっている。自身の大学院でのファッション研究にも、民间公司で现场を见ているからこその视点が活かされているという。

藤岛さんから中学生?高校生の皆さんへのメッセージ

私は、そもそも大学ではなく、専门学校に行こうと思っていました。高校生の顷は、ファッションを学ぼうと思ったときに、大学のどの学科で、どう学んだら良いのかがわからなかったからです。
しかし、大学に入ってみて思うことは、たとえ当初の想像と违う场所にいってしまったとしても、自分が勉强しようと思えばいくらでもできるということ、また、他の分野から学ぶことも大きいということです。
ファッションのように、未だ「学科の狭间」にある领域を学ぼうと思ったとき、あるいは、「これって勉强の対象にならないかも」と迷うような领域であっても、情报学环?学际情报学府のような学际领域に来れば、「何とかなる」のではないかと思っています。
 

自身も学府の卒業生である筧 康明先生(東京大学情報学環?准教授、写真上)は、トークセッションを振り返って、「キャリアを自由につなぎ合わせたり、時には学び足したり、学び変えたりということが、当たり前にできること」が生み出す新たな可能性に気づいたという。

3.第二部 「アートで描く社会論 原子力の過去?現在?未来」

登坛者
小林 エリカ(作家?漫画家)
庭田 杏珠(東京大学教養学部 文科三類)

モデレーター
開沼 博(東京大学情報学環?准教授)

第二部のパネリストは、「原子力」「戦争」という共通のテーマで、独自の発信と表现を続けている3人である。ディスカッションでは、「わからなさ」「不确実性」「不可视な未来」にどう向き合って表现していくのか、また、学际的な环境で学ぶことの意义について议论した。




学际情报学府の第一期生である小林さんは、漫画?エッセイ?彫刻などの作品制作を通じて、多様な活跃を続けるアーティストである。

修士课程修了后、学生时代の研究テーマ「ユビキタス」に関わることはなかったが、学府で目の当たりにした「领域を超えて、自由に、それぞれが好奇心の赴くままに突き进んでいく姿势」は、小林さんのその后の人生に大きな影响を与えている。学府に入学して、「大の大人たちが、一生悬命、好きなことに突き进んでいる。しかも、それが世界の最先端である」ことに感动したという。「自分の信念に基づいて、目的に向かって进むためには、领域にとらわれる必要なんてないということを、学际情报学府で初めて知ることができました」。

  • (スライド3)小林さんの代表作の1つ「光の子ども」

小林さんの作品群は、一贯して「放射能」や「戦争」をテーマにしている(スライド3)。学环に入学した时にはすでに、放射能や戦争にまつわる记忆や歴史に兴味があったという。その理由には、祖父が齿线を扱う医师であったこと、子どもの顷にアンネ?フランクに强く憧れたことなど、自身のライフ?ヒストリーが深く関わっている。
现在まで、戦祸の中で生きたアンネ?フランクや、放射线にその人生を翻弄されたマリー?キュリーにインスピレーションを得た制作活动を続けている。

越境はしようと思ってしているわけではなく、「自然と越境してしまう」ものだそう。「核や原子爆弾がどうしてできたのかを调べていくと、どうしても、経済だけ、科学だけ、歴史だけ、では不十分。すべてのものを総动员して向き合っていかないと解き明かすことができないものなんじゃないかな」。



东京大学の学部2年生である庭田杏珠さんは、広岛県の高校から东大に进学した。高校生の顷に、戦争経験者である濵井徳叁さんと出会ったことが、その后の进路を大きく変える転机となった。原爆によって家族全员を亡くした濵井さん。家族を思い出す唯一の拠り所は、疎开先に持ち込んでいたことで手元に残った250枚にもおよぶ白黒の家族写真であった。

この话を闻いた1週间后、庭田さんは偶然、础滨を用いて白黒写真をカラー化する技术を研究していた情报学环の渡邉英徳先生のワークショップに参加する。「原爆で亡くなったご家族を、いつも近くに感じてほしい」という思いから、渡邉先生のカラー化技术を学び、现在は平和记念公园にもなっている「中岛地区」の方から提供された写真をカラー化する活动をはじめた(スライド4)。
対话しながら色が再现されていく过程で、それまで思い出すことがなかった记忆が苏る、「记忆の解冻」を目の当たりにしたという。写真を见た濵井さんは「みんな、生きとるみたいじゃねえ。后ろに写っている杉の木の実を、杉鉄砲の玉にして、友达とよう游んどった」と思い出を语ったという。
  • (スライド4)対话をもとにカラー化された濵井さんの家族写真

写真の提供者の中には、すでに亡くなった方もいる。広岛の戦争経験者が、いつまで元気でいてくれるかはわからない。国连での発表や、书籍の出版、図书馆等での展示など、カラー化した広岛の写真を広く発表することで、写真の持ち主だけでなく、戦争を知らない幅広い世代にも戦争を身近に感じてもらえるよう、これからも発信を続けていく。

4.関连リンク

5.学生ライターから女子中高生の皆さまへ

東京大学は、中学生?高校生の皆さんの探求心、向上心をエンパワーするイベントを、年間を通じて開催しています。中には、一見「かたく」見えて、「自分が参加しても良いのかな…?」と迷ってしまうものもあるかもしれません。でも、大丈夫!ぜひ、東京大学でlife changing dayを過ごしてください。週末や放課後に、何か新しいものを見つけたいときに、学校の外で、進路や将来を考えたいときに、東京大学に来てみませんか?
今はオンラインですが、本当はキャンパスの环境も抜群です!