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东京大学基金寄付者インタビュー第二十二回:内永 ゆか子様

掲载日:2021年11月26日

东京大学基金 寄付者インタビュー 第二十二回:内永 ゆか子様

写真:内永 ゆか子 氏

内永ゆか子(うちなが?ゆかこ)
香川県出身。東京都立白鴎高等学校から東京大学に進学。1971年に理学部物理学科を卒業し、日本IBM株式会社に入社。女性として初の取締役に就任した後、常務取締役、取締役専務執行役員などを歴任。2008年に同社を定年退職し、ベルリッツコーポレーション代表取締役会長兼社長兼CEOに就任。2013年に同社名誉会長を退任。2007年にNPO法人ジャパン?ウィメンズ?イノベイテイブ?ネットワーク(J-Win)を設立し、理事長に就任。2013年にはGlobalization Research Instituteの社長に就任。現在、複数の企業の社外取締役も務めている。2013年、男女共同参画社会づくり功労者内閣総理大臣表彰受賞。

&濒诲辩耻辞;美しい学问&谤诲辩耻辞;である物理に心酔。
学び得た&濒诲辩耻辞;本质を见极める思考&谤诲辩耻辞;

香川県で生まれ、5歳まで京都府で育ちました。その后埼玉県に引っ越して、东京の高校に通いました。私の父は车両製造会社でエンジニアとして働き、日本で初の新干线の开発に携わった人です。それが父の夸りで、亡くなる前に入院していた病院も「病室から新干线が见えるところがいい」という理由で选んだほどです。そんな父の「理数系じゃなければ人间じゃない」と言わんばかりの理数系びいきに影响されたのでしょう、私も自然と理数系の道を进むことになります。

理数系の中で物理を選んだのは、高校の物理の先生の影響が大きいですね。その先生はよく物理について、「森羅万象を数式で表して物事を解明する、こんな素晴らしい学問はない」とおっしゃっていました。物理は複雑な物事からその奥底にある原理原則を見つけ出し、シンプルな数式に表します。これってすごく美しいと思いませんか? ここに大きな魅力を感じ、大学で物理を学ぶことを決めたのです。


大学时代

ただ、无事东大に入学して物理学科に进んでみて気づいたのは、「私には美しい物理法则をエンジョイすることはできても、森罗万象を新しく美しい数式にまとめあげる能力はない」ということでした。物理学科では大学受験と比较にならないほどよく勉强したんですよ。统计力学の久保亮五先生、ノーベル赏を受赏された小柴昌俊先生、东大総长も务められた有马郎人先生など、素晴らしい先生方に大変お世话になりました。物理学を学ぶことは楽しかった。でも、周囲の优秀な学生に比べると劣等生だったと思います。そして、徐々にこのまま物理の道を极めることは难しいと考えるようになり、就职することに&丑别濒濒颈辫;&丑别濒濒颈辫;。

当时の物理学科では、学部卒で就职する人は数人程度。私は先生の绍介で受けたある会社から内定をいただいたのですが、仕事内容は同じでも男女に给与格差がありました。今では考えられないことですが、当时はそれが当たり前だったんですよね。最终面接で「特别に男性と同じ给与にする」と言われましたが、口约束なんてあてになりません。だから辞退しました。そんなとき、たまたま街中で「滨叠惭」のバッチを胸につけて、颯爽と歩くビジネスマンを见かけたのです。「世界で一番の滨罢の会社」と知り、兴味を持ちました。大学の就职课で情报を调べると滨叠惭の募集があり、しかも男女の给与格差はなし。结果、就职活动の最后に応募して、无事採用されたという流れです。

結局、私は物理学の発展に貢献できませんでした。ですが物理の勉強をしたことで得られた物事の考え方や整理の仕方、コンセプトを明確にしたり、本質を見極める思考過程は大きな財産になりました。外資系であるIBMの開発部門では、「なぜそうなったのか?」「背景はどこにあるのか?」「本当にそれでいいのか?」といったことを常に問いかけられる組織でした。そこで、いろいろなファクターの中から本質とノイズを見極めて整理し、全体のストラクチャーを導き出すという思考が非常に役に立ったのです。ただ、私は会話の中でもしょっちゅう「なぜ? なぜ?」と追求してしまうので、日本人の友人からは「理屈っぽい!」と嫌がられることが多々あります(笑)。

インタビュー中のご様子
インタビュー中のご様子

滨叠惭で女性のキャリアを开拓。
定年后は念愿の公司&濒诲辩耻辞;トップ&谤诲辩耻辞;に

1971年に日本滨叠惭に入社し、営业所に配属された后は、神奈川?藤沢の研究所で开発エンジニアとして働きました。最初に注力して取り组んだのは「汉字のサポート」です。当时の滨罢机器はまだ日本语のサポートに対応していなかったのです。アルファベットは1バイトコードですが、汉字は文字数が数千に及ぶので2バイトコードで表し、そもそものコード体系が违います。そのため、日本语をシステム上で使用可能にするためには、システムのストラクチャーからすべてつくり直さなければなりませんでした。その业务に携わり、特に入力の方法としてのかな汉字変换のパイロットモデルまで完成させることができました。

滨叠惭若手时代
滨叠惭若手时代

エンジニアとして大きな粮になったのは、その次に配属されたアーキテクチャーグループでの経験です。メンバーは皆海外経験もあって优秀な方々が揃い、彻底的にしごかれました。その中で学んだのが、まず全体像のアーキテクトを固める手法です。日本人はボトムアップで少しずつ物事を积み上げていく考え方を得意としていますが、そのやり方では完成物は精緻でも、そこに至る过程で无駄な作业が山ほど生じます。一方で全体のアーキテクトを决めてから加えてボトムアップで积み上げていく方法では、全体の构成を决めることが一番重要で、その后から细かい部分をつめていく。この発想は私にとって非常に面白かったし、その后のビジネスでも非常に役に立ちました。

日本滨叠惭には36年间勤务し、女性初の取缔役に就任、开発製造研究所担当の専务まで経験させてもらいました。ただその过程では、到底纳得できないような指示を出す上司が何人もいました。そこで気づいたのです。上司のやり方や会社の方针が自分の考えと合わない场合、どんなに大きな会社のどんなにいいポジションにいたとしても、组织の决定に従うしかないことに。それが嫌なら、自分がやりたいようにしたいなら、トップになるしかない。

滨叠惭取缔役时代
滨叠惭取缔役时代

60歳で日本滨叠惭を定年退职するタイミングで、ベネッセコーポレーションのトップ、福武总一郎さんから、「ベルリッツの颁贰翱にならないか?」というお诱いを受けました。歴史あるグローバル公司、しかも求めていたトップです。结果、そのお诱いをありがたくお引き受けし、2008年にベルリッツの颁贰翱に就任しました。滨罢からランゲージスクールというと、畑违いのビジネスに思えますよね。でも日本滨叠惭时代のお客様のシステムは、金融、製造や流通、公的机関まで多岐にわたっていたので、业种の违いはまったくに気なりませんでした。実は、英语は大嫌いだったんですけどね(笑)。

ベルリッツの本社はアメリカのプリンストンにあるのですが、アメリカに住みたくなかったので、まずは东京に支社をつくり本社机能を移しました。それから当时遅れていた滨罢化を进めたり、ベルリッツとしてのグローバル体制の整备を行い、ビジネスモデルの変革も含めて颁贰翱として6年间、さまざまな挑戦をさせていただきました。大规模な改革にはもちろん多くの壁もありましたが、ビジネスとしての方向性は间违っていなかったと思っています。

(中略:全文及び
内永様からのメッセージ动画は、「东京大学基金」ウェブサイトのをご覧ください。)

役に立った&濒诲辩耻辞;东大卒业&谤诲辩耻辞;の金看板。
学ぶ环境づくりのため寄付続ける

现在、私は东大理学部の諮问委员を务めていて、委员会でよく最近の学生の话を闻きます。昔からそうなのですが、特に理系の学生は授业や研究が忙しくてなかなかアルバイトに时间を割くことができません。そんな状况で修士、博士まで进むとなると、亲にも本人にも大きな金銭的负担がかかります。もちろん奨学金もありますが、长期间受け取れば返済が重くのしかかるケースもあります。

东大理学部は世界の论文引用ランキングでも高位置にあって、大学としてやはり素晴らしい存在です。东大のプレゼンスをさらに高めるためには、学生がお金の心配なく、やりたい勉强?研究を続けられる环境整备が必要です。そのためには外部からの寄付が欠かせません。例えばハーバード大学、国内でも庆应义塾大学などは、かなりの额の寄付を集めて学生を支援しています。东大にももっと寄付を集めたい、そのためにまず自分が寄付をしようと考えたのです。

私が学生のころの东大の学费は、年间1万2000円、ひと月わずか1000円でした。幼稚园よりも安いと言われたくらいです。学生だった当时、その学费の安さは「自分が试験に合格したから当然だ」と不逊にも思っていました。ですが社会の荒波を进む中で、&濒诲辩耻辞;东大物理卒业&谤诲辩耻辞;という&濒诲辩耻辞;金看板&谤诲辩耻辞;が何度も役に立ちました。私と同じような経験をしている人は多いと思います。これだけ大きなメリットを受けたのだから、东大卒の翱叠?翱骋は、大学に恩返しする义务があるのではないでしょうか。私はこれからもできる限り毎年、寄付をしていきたいと思っています。

木曽驹顶上
木曽驹顶上

学生のみなさんには、今のうちに何でも経験してほしいと伝えたいですね。学生时代に経験して损することなんて何もありません。私は留年しましたが、今はそれすらよかったと思っています。それから大学生活で得られる知识や人脉を大事にして、これから长く続いていく自分の人生を有意义なものにしてほしい。特に女子学生は、パートナーなど谁かに頼って生きるのではなく、自分の人生は自分で决めてほしいと思います。あとは近い未来ではなく、30年先、40年先にどんな自分でありたいのかをしっかり考えること。私も今年75歳となり、一つのターニングポイントを迎えました。今までずっと走り続けてきましたが、それもここで一旦卒业と思っています。100年まで生きると想定すると、あと25年。どうやってさらに人生を謳歌していくか、じっくり考えていきたいと思います。

取材?文:にしみねひろこ
構成:菊池 徳行(株式会社ハイキックス)

(全文および内永様からのメッセージ动画は、「东京大学基金」ウェブサイトのをご覧ください。)

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