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东京大学教员の着作を着者自らが语る広场

白い表紙にシェリングの自画像

书籍名

《新装版》シェリング著作集 2 超越论的観念论の体系

着者名

久保 陽一、

判型など

464ページ

言语

日本语

発行年月日

2022年9月1日

ISBN コード

978-4-906806-11-9

出版社

文屋秋栄

出版社鲍搁尝

学内図书馆贷出状况(翱笔础颁)

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本書は、カント、フィヒテ、ヘーゲルと並んでドイツ古典哲学を代表するシェリングの主著の翻訳である。シェリングが本書において論じるのは、理論哲学や実践哲学のみではない。シェリングの論述はさらに目的論、芸术哲学にまで及び、「芸术は哲学の唯一真にして永遠なる道具にして証書である」と述べる。これは、「哲学しようとするならば、芸术に頼らざるをえない。そして、芸术は哲学的営みを人々にあまねく知らしめるものである」、と換言できる。芸术を少し持ち上げすぎではないか、という疑問も生じるかもしれない。だが、シェリングの理論は芸术に関してきわめて重要な点を主題としているように私には思われる。私は美学を専門としているので、美学ないし芸术哲学の観点から、シェリングのこの著書の魅力に迫ってみたい。
 
すぐれた意味における芸术が行っているのは、私たちのすでに見知っている事柄をわかりやすく呈示する営みではなく、知覚世界に介入しつつ知覚世界を探索する営みである、とはいえないであろうか? 例えば、造形芸术であれば、自ずと見えている世界に、造形するという仕方で能動的に関与しつつ、見える世界を豊かにする、あるいは、音楽であれば、自ずと聞こえている世界に、音を奏でるという仕方で能動的に関与しつつ、聞こえる世界を豊かにする。つまり、造形芸术は見ることの可能性を追求し、見える世界を探索する、音楽は聞くことの可能性を追求し、聞こえる世界を探索する。とするならば、シェリングに倣って、芸术を一種の哲学的な営みであるとみなすことも許されよう。
 
シェリングはさらに、芸术創作は「意識を伴って始まるが、没意識的なものにおいて終わる」と述べる。これもわかりやすく換言すれば、芸术創作は芸术家の創作意図を前提とするが、芸术作品は芸术家の創作意図を超えたものである、ということである。意図の見え透いた作品、それはとてもつまらないものであろう。一度鑑賞すれば十分である。ところが、傑作と呼ばれるものは、何度でも鑑賞したくなるし、その都度異なった姿をわれわれに示す。シェリングは、「個々の芸术作品は無限の解釈を受け入れうる」と語るが、これこそ、芸术作品の豊かさと呼ばれるものの正体である。そして、芸术家自身にとっても、完成した芸术作品は思いもかけないものである。シェリングの言葉によれば、芸术家は自らの芸术作品によって「自ら驚嘆し、幸福に感じる」のであり、自らの芸术作品を「不可能なことを自ら可能にしたより高次の自然が自分に対して無償で与えてくれた恩寵とみなす」。なぜかといえば、最初の論点に戻るならば、芸术とは探索の営みだからである。
 
シェリングの『超越论的観念论の体系』と出会ったのはかれこれ40年ほど前のことであるが、シェリングを読みつつ私は以上の考えに辿り着いた。この考えもまた、シェリングを読み始めた際には思いもかけなかったものである。古典を読むことの幸福はここにある。
 

(紹介文執筆者: 人文社会系研究科?文学部 教授 小田部 胤久 / 2023)

本の目次

序言 (久保陽一 訳)
緒論 (深谷太清 訳)
第1章 超越論的観念論の原理について (深谷太清 訳)
第2章 超越論的観念論の一般的な演繹 (深谷太清 訳)
第3章 超越論的観念論の諸根本命題に従った理論哲学の体系 (前田義郎、竹花洋佑、守津 隆、植野公稔 訳)
第4章 超越論的観念論の諸根本命題に従った実践哲学の体系 (前田義郎 訳)
第5章 超越論的観念論の諸根本命題に従った目的論の主要命題 (小田部胤久 訳)
第6章 哲学の普遍的道具の演繹、ないし超越論的観念論の諸根本命題に従った芸术の哲学の主要命題 (小田部胤久 訳)
全体系への総注 (小田部胤久 訳)

関连情报

书评:
田中均 評 (『シェリング年報』31巻p.135-138 2023年7月1日)

 
堀内みどり 評 (『Glocal Tenri』Vol.23, No.12 2022年12月)

 
レクチャー:
Schelling in Japan  (The North American Schelling Society  2021年5月19日)

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