李公麟「五马図」
中国?北宋時代を代表する文人画家、李公麟 (1049?~1106)「五馬図巻」は同時代から「神品」として称賛され、唯一の真蹟として古くから知られていたが、行方不明になって約80年、その消息は知られず、その姿はモノクロのコロタイプ複製によって知られるのみであった。
2019年初めに东京国立博物馆において开催された展覧会「颜真卿」展で、この画巻が同博物馆の所蔵品として公开されたのである。中国本土では大きな衝撃をもってこのニュースは伝えられ、研究者のみならず参観者がこの画巻の前に列をなした。本书は、この再発见を机に、初めて高精细なカラー図版、原寸サイズでこの画巻を再现したものなのである。
論文では、後世に定着した文人?白描画家イメージと本画巻が示す李公麟像には明らかなズレが生じているため、まず李公麟イメージの展開から議論を始めた。次に、行方不明なる前、この画巻が歴代王朝で「神品」として珍重された状況、又、日本にもたらされた経緯を確認する。この画巻は清王朝の終焉前後の混乱期に劉驤業によってもたらされた。昭和3年 (1928) には、昭和天皇御即位大礼の祝賀記念として開かれた展覧会で公開され、多くの識者の目に触れたのである。昭和5年 (1930) に末延道成 (1855~1932) が劉驤業から購入した後、昭和8年 (1933) に重要美術品に指定されたものの、しばらくして表舞台から姿を消した、という過程を明らかにする。
中川忠順「李公麟と白描体」(『國華』380?381号 1922年) 以降、作品を実見して記述したものはない。最も重要なのは作品記述である。実際に作品を詳細に観察すると、支持体も澄心堂紙という特殊な素材の上に描かれており、李公麟が得意とした墨線のみによる白描画ではなく、繊細な墨筆による彩色を併用したもので、彩色表現?技法は驚異的なものであった。本論では、作品それ自体から出発し、改めて作品の位置付けを試みる。現状に至るまでの作品の成立過程は複雑であり、第5の馬が後補であるという、清?乾隆皇帝 (1711~1799) の指摘について、確かに別筆であることが確認された。幻の「神品」であるこの画の出現は北宋絵画史の書き換えを迫るものであり、その基礎となるべき作品記述を心掛けた。その上で、「五馬図」の存在を前提にした絵画史の座標軸の提示を目指している。
これより后、中国絵画史の记述は「五马図」を含んだ言説が前提となることは确かである。そうした展开を导いていく础石として本书は位置付けられよう。
(紹介文執筆者: 东洋文化研究所 教授 板倉 聖哲 / 2019)
本の目次
原寸?縮尺全図?拡大部分図
论文 板仓圣哲「李公麟笔「五马図巻」の史的位置」
? はじめに
? 李公麟像―官僚?文人?画家として
? 「五馬図巻」における文字情報と歴代著録
? 「五馬図巻」の日本伝来
? 「五馬図巻」成立の背景
? 澄心堂紙の使用
? 「五馬図巻」の表現
? 「五馬図巻」における改変
? 李公麟の達成―北宋絵画再考
*印谱?挿図?年表?主要関连文献
関连情报
板倉聖哲[編]『李公麟「五马図」』
イベント:
板倉聖哲(中国美術史)×佐藤康宏(日本美術史)×橋本麻里(ライター、エディター) 『李公麟「五马図」』刊行記念 「五馬図」から若冲まで、絵を見る楽しさを語る (銀座蔦屋書店 2019年5月28日)
『李公麟「五马図」』刊行記念トークイベント (代官山蔦屋書店 2019年4月29日)
书评:
文集オンライン | 連載クローズアップ 板倉聖哲 (東京大学东洋文化研究所教授)「本物を目にしたとき、手が震えた」 幻の神品「五馬図」はここが凄い (『週刊文春』2019年3月7日号 2019年2月28日)
书籍绍介:
幻の五马図「再発见」の奇跡 (読売新闻オンライン 2019年7月4日)
Lost Masterpiece Reproduced at Full Scale Li Gonglin’s “Five Horses” (SHUKAN NY SEIKATSU No.727,p.22 2019年6月1日)
羽鸟书店 矢吹有鼓 画集?李公麟 「五馬図」 (週刊NY生活 2019年5月23日)
文化往来 李公麟の名品「五马図巻」、约80年ぶりに発见 (日本経済新闻 2019年5月2日)
羽鸟书店編集 矢吹有鼓 寄稿: 900年以上の時を超えてなお輝く 北宋時代の神品「五馬図巻」初の画集刊行! (ほんのひきだし 2019年4月26日)
「羽鸟书店 原寸画集『李公麟「五马図」』発売へ」 (『文化通信』2019年3月25日)