自由と自己の哲学 运と非合理性の観点から
本書では、自由 (自由意志) を巡る哲学の問いについて論じました。ただし、恐らく多くの人が哲学者として知る人や、その議論が主題的に扱われることはありません。本書で私が試みたのは、分析哲学という英語圏の現代哲学において、現在進行形で先鋭化し続ける自由の哲学の最先端にいる論者を取り上げながら、更にそれを乗り越え、その先へ進むことです。
本书の中では、自由を、「复数の选択肢の中から、何をするかを自分で决められる」こととして考えます。「哲学的自由」などと构える必要はありません。この自由は、今晩の夕食を决める时、思いつく献立の中から一つを选ぶときにだって行使されるものです。そして同时に、どのような职业に就くか、どのような人をパートナーとして选ぶか、など人生の重大な场面で切実に希求されるものだとも言えます。
哲学の長い歴史の中で、しかし、そんな選択の自由を実は人間は持ちえないのだという主張が展開されてきました。一つは、神や、遠い過去の物理的原因など、私たちの関わりえないものによって行動がすべて決定されてしまうという主張。もう一つは、私たちの行動は運で (ランダムに) 生起することになってしまうという主張です。そして歴史上、自由を救い出そうとする論者は大抵、一つ目の主張、すなわち「私たちの行動が決定していること」と「自由」は手を結べるのだとして問題を解決しようとしてきました。
一方私が本書で示そうとしたのは、二つ目の主張、すなわち「私たちの行動は運で (ランダムに) 生起すること」と「自由」が実は手を結べるということです。もちろん、「決定されている」だとか、「運だ」とか、その内実が具体的にどのようなものなのかについては、本書を読んでいただくしかありません。しかし、本書を通じて私が主張した「自由」と「運」の奇妙な関係性のエッセンスを取り出せば、それは次のようになります。
选択肢に开かれている。そしてその中から、今、自分が何かを选び出す。このように解される自由を持つことは、选択する人のありようが过去どのようなものだったか、またその人がどのような思考をしてきたか、などの事実と、実际の选択の间に、断絶が存在することを意味する。この断絶は、望ましいと判断することを実行する、つまり理性的に行為をコントロールする能力をむしろ阻害する。ゆえに自由な私たちは、选択の都度、その意味で寄る辺なく、「运」に晒されることになる。
しかし同時に、このような運 (断絶) が存在することで、過去と未来は断ち切られる。選択の自由とは、過去に縛られず、自分自身の手によって、過去を超え出て変容していこうとする人間にとって、必要不可欠なものである。
本书は、以上の主张のもっともらしさを、可能な限り议论を尽くして论じようとするものです。そのため、本书に登场する数多くの立场や、また细かく入り组んだ议论に戸惑うかもしれません。しかし、それらはすべて、上で见た、「自由であると同时に运に晒される人间像」を具体的でリアルなものとして捉えようとする意识に贯かれています。本书から、自由を哲学することの楽しみを感じ取ってもらえれば何よりです。
(紹介文執筆者: 李 太喜 / 2024年8月28日)
本の目次
第1节 决定论と対立する选択可能性
1 选択可能性と自己决定性
2 决定论と自由の対立
3 选択──非両立论という立场
4 选択──非両立论の抱える二つの问题
第2节 源泉──両立论と行為の合理的コントロール
1 ホッブズの系谱としての源泉─両立论
2 源泉──両立论者の诸理论
3 合理的コントロールとしての自由理解
4 选択─非両立论者にとっての合理的コントロール
第3节 整合性の问题
1 选択可能性と合理的コントロールの紧张関係
2 非合理性のアポリア
3 运のアポリア
第4节 必要性の问题
1 フランクファートによる选択可能性原理の否定
2 価値のアポリア
第2章 选択可能性と自由は整合的に理解できるのか
第1节 従来の解决案を批判する
1 加算モデル的解决の试み
2 ミーリーの熟虑的リバタリアニズム
3 ケインの葛藤理论
4 加算モデル的解决の限界
第2节 自由な行為が満たすべき合理的コントロール要件を検讨する
1 理解可能であるという基準から与えられる合理性
2 非决定论下で持ち得るコントロール
3 自由概念の记述的侧面から见た合理的コントロール要件の妥当性
第3节 自由论のドグマからの解放
1 コントロールを向上させる选択可能性
2 自由论のドグマとは何か
3 自由论のドグマと対极にある自由観
4 合理的コントロールを弱める选択可能性
5 自由と运
6 选択可能性を契机とする自己决定性のあり方
第4节 自己决定する「自己」とは何か
1 自由と自己の问题
2 断絶を埋める二つの试み
3 自己と选択の构成関係
4 自己の理由モデルからの决别と、自己の动的なあり方
5 整合性の问题の「解消」
第3章 选択可能性はなぜ必要とされるのか
第1节 人を非合理性と运にさらす选択可能性が持つ価値
1 必要性の问题と価値のアポリア
2 価値のアポリアの手前で
3 解决に向けた二つの方策
第2节 自己変容性と选択可能性
1 葛藤の中の选択と自己変容的选択
2 自己変容的选択と非合理性
3 実験であり赌けである自由な选択
4 复数の価値観へと开かれるという自由の価値
第3节 道徳的责任と选択可能性
1 道徳的运としての选択の运
2 行為の源泉性に必要とされる选択可能性
第4节 本书の到达点
関连情报
第4回东京大学而立赏受赏 (东京大学 2023年)&苍产蝉辫;&苍产蝉辫;
/ja/research/systems-data/n03_kankojosei.html
书评:
山口尚 評「李太喜『自由と自己の哲学――运と非合理性の観点から』(岩波书店、2024年) をザッと読んで」 (sho__yamaguchi’s blog 2024年3月28日)
関连论文:
「選択可能性と「自由論のドグマ」」 (『科学哲学』51(1)号 pp.19-40 2018年)
関连イベント:
NEW 立正大学哲学会2024年度大会 シンポジウム「自由と自己」 (立正大学品川キャンパス1151教室 2024年9月28日)
自由とは运か――李太喜氏『自由と自己の哲学』出版记念 (哲学対话バー碍颈蝉颈 2024年5月25日)