アンドレ?ジッドとキリスト教 「病」と「悪魔」にみる「悪」の思想的展开
「悪」とは何だろうか。私たちはとかく社会の常识や惯习に则って、「これは良い」「これは悪い」と判断しがちである。しかし、常识や惯习という判断基準は、时代や地域が违えば异なり得る相対的なものである。であるとすれば、他者の言动を「悪」だと纠弾する人々が拠り所とする価値観そのものを问い直すとき、「悪」をめぐる一般认识は覆され得るのではないだろうか。
本書は、19世紀末から20世紀の半ばにかけて執筆活動を行ったフランスの作家アンドレ?ジッド (1869-1951) が、自分自身の「悪」と向き合うなかで示した思索と、それを足掛かりに展開した「悪」をめぐる思想の独自性を、「病」と「悪魔」という二つの軸となる観念を通じて明らかにしたものである。プロテスタントかつ同性愛者というフランス社会のマイノリティにあったジッドは、カトリックや異性愛者といったマジョリティによって形作られる規範や常識に対峙するなかで、あくまでもキリスト者に留まりつつ、既存の宗教的価値観とは異なる視点で「悪」を捉え直そうとした。そのロジックを明らかにし、同時代的?現代的意義を提示することが、本書の主要な狙いである。
フランス語において « le mal »(悪) という語によっても表される通り、「病」はまさに医学的?宗教的見地から「悪」と見なされるものであった。にもかかわらず、ジッドは幼少期から病弱だったうえに、当時の医学言説によれば「病」に他ならない自慰の欲求や同性愛といった性的指向を自認してもいた。さらに、「病」はキリスト教道徳において「罪」と同一視され、克服しなければならないものともされていた。それゆえ、ジッドは幼少期より自らの心身を「悪」と結び付け、「罪」の意識にとらわれていたが、やがて作品創作を通じて、独自の仕方で「悪」を把捉するに至る。
第滨部では、当时の医学言説や宗教言説をふまえ、幼少期から1900年代顷までのジッドにおける「病」観を検讨した。第滨滨部では、「病」への思索を通じてキリスト教思想が深まった1910年代以降の作品における「病」の表象を分析し、キリスト教的価値観において「悪」とされてきた「病」を信仰の枠内で捉え直そうとするロジックと、そこから看取される既存の宗教に対する批判的意识を浮かび上がらせた。第滨滨滨部では、「病」に次いでジッドの内に生じた「悪」の主题として「悪魔」の问题を取り上げ、信仰と矛盾しない仕方で「悪魔」を解釈しようとするこの作家の论旨を明らかにした。
ジッドが作品を通じて试みたのは、「病」や「悪魔」を「悪」として否定し、それらの除去や克服を求める既存のキリスト教的価値観の问い直しと、「悪」とされてきたものを否応なく抱える自己そのものの肯定であった。ジッドによれば、「悪」の排除に汲々として人生を浪费するのではなく、あるがまま生きることこそが、福音书に记されたイエスの言叶に适うものなのである。ジッドはあくまでもキリスト者として社会や时代と格闘した作家であった。だが、各人の生を肯定し、多様な価値観の存在を主张したジッドの态度は、必ずしもキリスト教的な価値観の内部でのみ意义のあるものではない。「悪」をめぐるジッドの长きにわたる思索は、彼个人、またキリスト教社会に留まらない普遍的射程を有していたと言えるだろう。
(紹介文執筆者: 西村 晶絵 / 2023年2月13日)
本の目次
第I部 「病」と宗教
第1章 幼少期から一八九〇年顷までのジッドと「病」
第2章 初期作品における「病」とジッドにおける「病」
第3章 「病」についての価値転换とキリスト教思想の形成
第II部 「病」、身体、宗教
第1章 「盲目」と宗教
第2章 カトリックと「病」――『法王庁の抜け穴』を通して
第3章 セクシュアリティと宗教
第III部 ジッドにおける「悪魔」の问题
第1章 ジッドの悪魔论
第2章 『贋金使い』における「悪魔」の问题
结论
书誌一覧
あとがき
関连情报
第3回东京大学而立赏受赏 (东京大学 2022年)&苍产蝉辫;
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受赏:
第40回渋沢?クローデル赏 奨励赏 (公益财団法人日仏会馆 2023年)