
书籍名
道徳的知识への懐疑
判型など
288ページ、础5判
言语
日本语
発行年月日
2023年3月
ISBN コード
978-4-326-10321-8
出版社
劲草书房
出版社鲍搁尝
学内図书馆贷出状况(翱笔础颁)
英语版ページ指定
いかにして善悪の知识はえられるのか。林檎が我々の神経系に作用して生じるという、巧妙な説明を捨てるとともに、哲学者たちは様々に答えてきた。曰く、それは自明である。曰く、それは直観による。曰く、それは生得的である。曰く、それは常识である。曰く&丑别濒濒颈辫;&丑别濒濒颈辫;。
本书はまず、もぐら叩きをする。すなわち、これらの答えのそれぞれの误りを指摘し、そもそも我々が善悪について何かしら知ることは不可能であることを示さんとするものである。
なぜ、この道徳の认识可能性についての问いが重要なのか。道徳とは我々自身の生を导くのであり、そのような意味で「よき生」について教えてくれるがゆえに重要であるのだ。これはひとつの答えではあろう。たしかに内省的で有闲な人々にとっては、「よき生」の中心性は疑うべくもない。我々とてこの问いの価値を否定する积りはない。
だがこの描像は、受肉せる道徳の姿をほとんど歪めて捉えている。道徳はしばしば、ひめやかな思いにとどまらず、他者への道徳的介入というかたちで現れる。そして、善行を褒め称える道徳的賞賛は印象的であるにせよ、これは例外である。(そして「この」例外はすべてを証明しない。) むしろ、他者の行為を制御するための道徳的非難こそが、道徳が我々の社会において果たしている主たる役回りであろう。
こうして、道徳的知识の可能性が问题になるのは、道徳的非难や処罚に代表される、道徳的信念に基づく他者への介入という事情があるからにほかならない。仮に我々が善悪について知ることができないとすれば、こうした介入はいささかも正当でないからである。ちょうど雨が降ると知らないのに矢鱈とひとに伞をもたせたがるかのようである。
もぐらを叩き终えたあと、我々が突き当たるのは、既存の道徳的実践をどうすべきなのかという新たな问いである。本书の结论は条件的で、多义的である。「少なくとも现行の方式においては」我々の道徳的実践には深刻な问题がある。とは言え、仮に一定のタイプの道徳的実践が我々にとって有益であるというならば、适切に调整された内容の道徳をある种のフィクションとして再导入することもありえよう。とはいえ、そのように道徳が有益であるとは限らない。そのとき我々には道徳を廃絶する选択肢すら开かれる。そのとき我々は何によって自らを导くのか。美であれ法であれ、我々は好きに选ぶことができよう。
(紹介文執筆者: 野上 志学 / 2025年1月27日)
本の目次
序 章 道徳懐疑论にむけて
1 道徳懐疑论の简洁な分类
2 モラリズムと道徳の権威
3 伦理の自律性と道徳认识论
4 以降の见取り図
第1章 知识の実践性と注文の多い道徳
1 知识の実践性と可谬主义
2 知识の実践性と认识的确率の閾値
3 注文の多い道徳と外界存在
4 结论
第2章 直観主义と自明性――直観主义の诸问题 (1)
1 穏健な基础づけ主义,あるいは直観の必要性
2 Rossと Audiの道徳的直観主義
3 自明性に诉える理论の问题
4 小括
第3章 「现れ」としての直観――直観主义の诸问题 (2)
1 「現れ」とは何か
2 现れ一般および道徳的直観の存在についての疑义
3 现れの信頼性についての疑义
4 外界懐疑论の回避
5 结论
第4章 常识道徳の退位
1 常识と証言の正规プロセス
2 常识论法の基本モデル――証言の一致に関するベイズ认识论
3 追跡仮定とその问题
4 共通原因による条件付き独立性仮定の破れ
5 同调による条件付き独立性仮定の破れ
6 「普遍的同意」の不在
7 非自然主义と常识论法
8 结论――常识道徳の退位
第5章 フィクションによるユートピアか廃絶か
1 保存主义と虚构主义と廃絶论
2 廃絶论者による道徳批判
3 选択的虚构主义
4 选択的虚构主义による「道徳」
5 结论――フィクションによるユートピアか廃絶か
补遗1 可谬主义的命题认识论理の近傍意味论
补遗2 顶点一致性条件の问题と序列不変性条件
补遗3 閾値の导出
补遗4 确率と因果モデルとその拡张
文献表
あとがき
人名索引
事项索引
関连情报
第3回东京大学而立赏受赏 (东京大学 2022年)&苍产蝉辫;&苍产蝉辫;
/ja/research/systems-data/n03_kankojosei.html
书评:
蝶名林亮 (創価大学文学部准教授) 評 (『図書新聞』 2023年12月2日号)
书籍绍介:
あとがきたちよみ (けいそうビブリオフィル|劲草书房編集部ウェブサイト 2023年3月22日)