「予科练」戦友会の社会学 戦争の记忆のかたち
人生は戦場よりずっと広い ――「人間は戦争よりずっと大きい」という言葉をあとがきで引用したけれども、本書に合わせたらこのようなフレーズになるだろう。
「予科练」という书名を掲げた本の大半は、戦记物である。海军飞行予科练习生という制度のもとで教育と训练を受けた少年航空兵たちは戦场でおびただしい犠牲を出し、勇壮なエースパイロットや特攻队员の悲哀が语られてきた。しかし、そこでは往々にして、戦场が特権视され、戦后の人生はエピローグ的な记述にとどまる。
それに対して本书は、生き残りたちが生き抜いた、戦时よりも遥かに长い、等身大の人生を中心に据える。彼らの人生に、个々人単位ではなく、戦后に集った「戦友会」という场から迫り、集団内外のさまざまな社会関係の広がりを多角的に分析する社会学的モノグラフである。
予科練という対象から見えてくるのは、進学?就職先として軍隊を選び、選抜されることで開かれた、たたきあげの「準エリート」のライフコースである。ゆえに階層や学歴、立身出世といったテーマが交差する。「どうだ? 東大卒にこんな芸当はできねえだろう!!」、「水交会か何か知らないが予科練をナメてやがる」といった独特の“声”が生まれる。
説明の焦点は、彼らによるモニュメントやミュージアムの建設事業である。まず多様な背景をもつ予科練出身者を戦友会がいかに包摂し集団を統合していったか、ついで戦友会と地域社会や政財界エリートや自衛隊等とのネットワークがどのように形成されていったのか、という二方向から説明する。それは、戦争の记忆のかたちを、戦争体験や政治力学に還元せずに、社会関係形成から解読する、集合的記憶の社会形態学の構想と実践である。
本書の基本的な含意は、戦争体験=戦時中、戦争の記憶=戦後という見方の拡張である。たとえば体験には、エネルギーが主体に蓄積される「充電期」とともに、蓄積されたエネルギーが創造性を発揮する「発電期」があるという見方もできる (見田宗介「戦後体験の可能性」) 。その「発電」の様は、戦時中の紅顔の少年たちをみても、現在かろうじて存命の老翁たちをみても、わからない。ゆえに本書は、1960年代の戦友会会報の分析を通して、記念碑?記念館をつくりだすエネルギーに満ちていた壮年?中年期の元少年兵たちの“戦後体験”を捉える。
それを通して、「集合的記憶の二重性」や「戦争を介した階級横断的なつながりの形成」といった、予科練以外の事例研究にも示唆的な論点を提起する。たとえば、同じく1960年代に広島で被爆者の声を聴いた作家も、戦後の「生の軌跡」に惹き込まれた。「その〔被爆体験の〕簡略で淡々たるに比べて、あの日以後を語るとき彼らの語調は少しずつ熱気を帯びてくるようなのだった」(小久保均「原爆の子から二十年」『この世界の片隅で』) 。戦場の死の空虚さを際立たせる、生き残りたちの生と絆の横溢。その広がりに関心を寄せる多様な読者に、刺激を与えるものとなれば幸いである。
(紹介文執筆者: 清水 亮 / 2022年7月22日)
本の目次
1 戦争体験者のつながりがつくりだしたもの
2 予科练の二人像という谜
3 戦友会は完全に孤立していたか?
4 研究目的と方法
5 本书の构成
第1章 戦争?集団?記憶 ―― 社会形態学へ向けて
1 準エリートの集団という研究対象の切り出し方
国民的想像力と集団的想像力
全体戦争を背景とした记念碑の大众化
エリートと大众の狭间にある予科练
準エリートから问い直す戦争?军队研究
2 集団と记忆への社会学的アプローチ
戦友会研究とその限界
戦争の记忆をめぐる政治力学から社会関係へ
集合的记忆论の社会形态学的展开
分析における叁つの着眼点
第2章 準エリートたちの軌跡 ―― 学歴と予科練
1 戦前から戦后にかけての予科练出身者のあゆみ
入队世代ごとの差异
社会的上昇移动のバイパスとその破绽
戦友会の全国规模化
懐古趣味から戦後社会へのアピールへ ―― 形あるものを残そうではないか
2 学歴认定达成のインパクト
慰霊と亲睦にとどまらない运动体
インテリの仲間入り ―― 出身校は? 予科練です
規模拡大の求心力 ―― 我々自身の事なのに協力出来なかったのが残念です
3 碑にみる「エリート」としての自己像
碑文に刻まれた选抜と教育
集団の鏡としての銅像 ―― どうだ? 東大卒にこんな芸当はできねえだろう!!
国民からの卓越を志向するエリーティズム ―― 無名戦士の墓ではない
第3章 メディアを介した戦友会の统合
1 戦友会のメディア的形态
イベントの记忆を共有する会报の视覚的想像力
双方向的なメディアとしての会报
2 末期世代の包摂
死者の少ない大所帯 ―― エリートなんかで、あるもんか
言葉とかたちによる包摂 ―― 二十四期生が居たればこそ
3 戦友会がつくりだす「予科练ブーム」
戦記出版と入隊世代 ―― 何か物足らなく感じます
映画製作への介入
一九六八年の「予科練ブーム」―― 俺たちは「与太練」ではない
4 会报を媒介とした集合的记忆の二重性
第4章 地域婦人会の記憶と行動 ―― 軍隊と地域の歴史的文脈から
1 なぜ地域住民は戦友会を支援したか
2 地域妇人会の构想と行动
母に対する子どもとしての予科練の記憶 ―― 観音像と裸像を併立するならば
现场における组织的な行动力
リーダーの政治力 ―― 皆さん甲も乙も無いでしょうよ
3 军都を生きた四半世纪
地域社会に対する航空隊のインパクト ―― エプロンかけてお化粧しておしゃれして
地域住民からみた予科練習生 ―― 皆なかわいがってね
空袭による予科练の大量死と慰霊
4 かたちにならなかった记忆?构想
第5章 戦後社会の戦友会支援ネットワーク ―― 元軍人?自衛隊から政財界まで
1 コンボイとしての元予科练教官たち
政治力とイデオロギー的な意味づけ
予科练出身者の人生への内在的な意味づけ――学歴は诸君らの全部ではない
コンボイたちによる承认
2 エリート军人からの支援の弱さ
海军兵学校出身の主要な支援者
海軍兵学校と予科練との軋轢 ―― 水交会か何か知らないが予科練をナメてやがる
3 财界?政界?自卫队
财界からの巨额の寄付とエリート间の人脉
政界ならびに防卫庁?自卫队とのつながり
駐屯地と戦友会の互恵関係 ―― 自衛隊側が「用意周到」に考えていて頭が下がる
4 コンボイの桥渡しネットワークとその可视化
终章 戦争をめぐるつながりとかたち
1 アソシエーションとしての戦友会
2 戦后社会とつながる戦友会
3 戦争を介した阶级横断的なつながりの形成
4 「伝統」化する戦争の记忆のかたち
あとがき
巻末図版 / 関連年表 / 参考文献 / 事項索引 / 人名索引
関连情报
日本社会学会第22回奨励賞 (著書の部) 受賞 (日本社会学会 2023年)
第2回东京大学而立赏受赏 (东京大学 2021年)&苍产蝉辫;&苍产蝉辫;
/ja/research/systems-data/n03_kankojosei.html
书评:
椙本歩美 評 (『日本オーラル?ヒストリー研究』第19号 2023年10月31日)
福間良明 評「準エリートの戦後と「記憶の形態」をめぐる問い」 (『戦争社会学研究』第7巻 2023年6月)
田中悟 評+清水亮 [リプライ] (『宗教と社会』29号 pp.190-195 2023年6月)
河野仁 評 (『社会学評論』291号 2022年12月)
一ノ瀬俊也评「週刊読书日记」 (日刊ゲンダイ顿滨骋滨罢础尝 2022年8月16日)
[好書好日] 保阪正康 評 「「集団的想像力」から戦史に迫る」 (朝日新聞 2022年6月4日掲載)
本书に関するインタビュー:
第39回 清水亮さんインタビュー『「予科练」戦友会の社会学~戦争の记忆のかたち』 (ブック?ラウンジ?アカデミア 2022年6月22日)
トークイベント:
「最初の単著を書くまでと書いたあと」 ブック?ラウンジ?アカデミア オフ会 2022年8月3日 東京大学駒場キャンパス
関连论文:
記念空間造成事業における担い手の軍隊経験 ―― 予科練の戦友会と地域婦人会に焦点を当てて (『社会学評論』69巻 3号 p. 406-423 2018年)