胜田守一と京都学派 初期思考の形成过程と忘却された思想の水脉
『胜田守一と京都学派』という本書のタイトルは、ひどく奇妙にみえるかもしれない。勝田守一の名は、戦後革新派の教育学者として、また、教育実践や教育運動を牽引し、理論的な支柱となった人物としてしられている。それにたいして、京都学派の系譜にあるすくなくない論者は、戦後保守側に位置づいて「反動的」な教育政策に関与していた。それゆえ、一般に、京都学派は、勝田をふくむ戦後革新派の教育学や教育学者が対峙した当のものと理解されている。なぜこの2つが「と」でむすばれるのか。このような疑問は、生じてしかるべきものであるようにおもわれる。
けれども、胜田は、京都帝国大学文学部哲学科、すなわち、京都学派の思想圏に出自をもっていた。戦后に立场を异にしたにしても、胜田が京都学派の圏域でいかにしてみずからの思考をかたちづくり、戦后にいかなる影を落とすことになったのかは、あらためて问われてよいだろう。
この问いかけは、たんに胜田という名の知れた教育学者の思想形成过程にたちかえることにとどまるわけではない。胜田と京都学派とのかかわりを问うことは、戦后日本の教育と教育学を问いなおすことへと――ひいては、戦后思想とはなんであったのかという问いへと――つうじている。
戦后日本の教育と教育学は、しばしば保守/革新という対立のもとで理解されてきた。たしかにこの理解はただしい。けれども、その対立がかたちづくられた过程や、その対立が実际にもっていた复雑な诸相については、繊细にみていくことが必要である。胜田をはじめとした戦后の教育学を担ったおおくの论者は、戦前期に思考を形成しており、戦后にいかなる思想を纺ぐのか、いかなる立场を选択するのか、ということは、ひどく困难なものであったからである。
そのため、本書では、京都帝国大学でみずからの思考をかたちづくりはじめた時期から、戦後初期 (ただし、第6章では例外的に1950年代後半の道徳教育論争をとりあげている) までの時期の勝田の思考のあゆみを描きだすとともに、京都学派の諸論者とのかさなりと差異をあきらかにした。初期の思考や、京都学派の諸論者とのかさなりと差異があきらかにされたことで、戦後の教育思想をあらためて問いなおし、戦後日本の教育と教育学を把捉するための基礎的な視座を提示しえたということは、本書のおおきな成果の1つである。あるいは、これまでに刊行されたテクストのみならず、新資料 (たとえば、旧制松本高等学校時代の講義録や著作目録から漏れたテクストなど) を発掘したことも、本書のもつ意義の1つであるだろう。
本书は、胜田という名のしれた教育学者の思考の原点をあかるみにだしたものとしても、戦后教育学の前史の一断面としても、あるいは、「拡散する京都学派」の1つの事例としても、読むことが可能であるだろう。それとともに、みずからの出自に両义的にむきあわざるをえなかった胜田という人间の光と影をみてとっていただければ、ともおもう。
(紹介文執筆者: 桑嶋 晋平 / 2022年3月22日)
本の目次
第1章 二つのみやことそのあいだで――初期胜田守一の歩み
第2章 シェリング研究における「非合理的なもの」をめぐる思考
第3章 京都学派の思想圏における思考形成――叁木清の歴史哲学?「西田?田边论争」?和辻伦理学
第4章 戦前?戦中期における他者あるいは他者と共にあることをめぐる问题――和辻伦理学と「われら」の哲学
第5章 叁つの座谈会――胜田守一と/の「近代の超克」,「世界史の哲学」
第6章 戦后道徳教育论争の一断面――天野贞祐と胜田守一
終 章 郷愁と回帰――忘却された思想の水脈へ
関连情报
第1回东京大学而立赏受赏 (东京大学 2020年)
/ja/research/systems-data/n03_kankojosei.html
第16回教育思想史学会奨励赏
戦前?戦中期の胜田守一における他者あるいは他者とともにあることをめぐる问题 (『教育学研究』第85巻第3号、2018年9月) (教育思想史学会 2019年9月)
书评:
小林敏明 (ライプツィヒ大学名誉教授) (『日本歴史』885号 2022年2月号)
田中毎実 評 (『教育哲学研究』第124号 2021年)
コロキアム:
2021年度 第2回 教育コロキアム
テーマ:桑嶋晋平『胜田守一と京都学派』 (「日本文明」研究フォーラム 2021年9月11日)