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東京大学学術成果刊行助成 (東京大学而立賞) に採択された著作を著者自らが語る広場

骸骨と女の人の古い絵

书籍名

语られ続ける一休像 戦后思想史からみる禅文化の诸相

着者名

判型など

384ページ、础5判

言语

日本语

発行年月日

2021年7月

ISBN コード

978-4-8315-1594-0

出版社

ぺりかん社

出版社鲍搁尝

学内図书馆贷出状况(翱笔础颁)

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中世後期の禅僧?一休宗純 (1394-1481)。この人ほど、日本人に知られた禅僧はいないかもしれない。にもかかわらず――いや、だからこそ――その実相が摑み難い存在も、そういないのではないか。かく言う私も、幼少期から高校生くらいまで、「一休さん」が「とんち坊主」以上の存在と感じられたことはなかった。
 
その印象がガラリと変わったのは、大学に入ってはじめての夏休みのことである。ひとり旅の終わりに辿り着いたのが、京都府京田辺市の酬恩庵――またの名を一休寺――であった。ここで、一休の木像と頂相 (ちんそう)(禅僧の肖像画) に出逢うこととなった。その面構えを前にしたとき、大した知識のない人間にもその睨みがズドンと突き刺さってきた。その帰り、土産代りに売店で購入したのが「狂雲面前誰説禅」――狂雲の面前、誰が禅を説く――の短冊である。二十歳になったばかりの青二才にも、この一句が傲岸なほどに大自信を表明したものであること位は察しがついた。しかし、あの「とんち坊主」とおよそ結びつかぬこの「狂雲」は、どういうわけなのか――。
 
东京に戻って、直ちに一休のことを调べだした。一休の汉诗文を収録した『狂云集』『自戒集』を纽解いてみると、そこには破戒とエロスを繰り返す「风狂」の姿が縦横无尽に描かれている。だが、难解な禅语を偈颂へと编みあげた一休のことばを読み解くのには、余りに多くの労力と时间が求められると気づかされもした。禅者としての一休を知るには、当然禅学の知见が要る。一休の生きた京都や堺や近江の时代背景を踏まえるためには、中世史学にたずねていかねばならない。汉诗で以て自らを表现した一休へは、汉文学のアプローチも求められる――一休への道のりは、厄介で険しいものであった。
 
これほど厄介な存在であるにもかかわらず、一休にはその逸话や伝説は実に数多い。とんち坊主、反骨と风狂の破戒僧、茶道の祖?村田珠光の师&丑别濒濒颈辫;&丑别濒濒颈辫;自着『狂云集』『自戒集』の难解さも相まって、后世の「一休像」はむしろ多种多様なメディアで语られ続けてきた。これらのエピソードは伝承のように思われるものも多いが、たとえそうだったとしても、単に信凭性に欠ける神话として片付けてよいものだろうか――。
 
このような问いのなかで、或る事実に思い当たる。一休に魅かれた人は、何も自分だけではなかった。室町时代から近现代に到るまで、数知れぬ人びとが一休に惹きつけられ、语ってきた。厄介で难しい一休が、どうしてこんなに日本人のこころに突き刺さってきたのか。行実の详细は知られずとも、その姿がいつまでも忘れられていないのはどういうわけか。これはむしろ、日本人の文化史的?思想史的な问题というべきものなのではないか――何故どのように一休が语られたのかを追いかけることで、ひとつの「禅文化」の変迁を明らかにしていけるのではないか。これが、本论の课题となった。
 
本書では、室町時代を生きた一休宗純の実証研究とその没後に陸続と生れ続けた一休〈像〉の変遷とをつなぎ、戦後日本における禅文化の考究をみつめていく作業を試みる。そして、 前田利鎌、芳賀幸四郎、市川白弦ら知識人の語りを追いかけ、一休を語ろうとしながらも語る側からみた一休の〈像〉が提示されてきた変遷を戦後禅思想として捉え、〈語り〉のイメージリーディングの未開の地平を探るものである。序論は、一休〈像〉の変遷をたどることで、禅文化のひとつの展開を描出する試みである。第一章から第四章で取り上げた戦後知識人は、それぞれが哲学?文学?歴史学?思想史学?禅学などにおいて一休と禅を通してどのように自己を解き明かし時代を解き明かそうとしたかを示す好例たちである。更に補論は、『狂雲集』など一休のことばとその背景としての『臨済録』の読み解きを試みた覚書である。これらテキスト分析を総合するような形で、本書を通して一休と禅文化に関する〈語り〉が如何に多層的になり多面体のようになっているかを、少しでも味わって頂ければ幸いである。
 

(紹介文執筆者: 飯島 孝良 / 2022年3月28日)

本の目次

まえがき 日本人を魅する「面构え」――个人的な体験から

序 论 一休の〈像〉は如何に形成されてきたか――室町期から戦后日本へ――
  はじめに
  一 何故一休なのか――その〈像〉研究の意义
  二 一休宗纯の生涯――その素描
  叁 一休〈像〉の形成过程
  四 一休〈像〉という媒介を通して何が语られたのか――「伝统」と「近代」
  おわりに

第一章 一休像の近代的「発见」――前田利鎌の「禅」を手がかりに――
  はじめに
  一 前田利鎌の立场と问题意识
  二 「一所不住の徒」一休への眼
  おわりに

第二章 戦后日本における中世禅文化论と一休の像――芳贺幸四郎を中心に――
  はじめに
  一 芳贺幸四郎の着眼――戦后における一休论の嚆矢として
  二 芳贺の问题意识と一休の像との対応関係――学术的问题と実存的问题
  叁 「东山文化」论と一休の像
  おわりに

第叁章 市川白弦の一休像――「即」の论理の批判的継承として――
  一 市川における问题意识
  二 「即」の论理と「风流」――市川における一休の像
  おわりに

第四章 二十世纪の「禅学」と一休像――柳田圣山の视座を再考する――
  はじめに
  一 柳田の一休解釈
  二 ふたつの「禅学」――久松真一から承けた枠组
  叁 「禅」そのものへの回帰
  おわりに

补 论 「瞎驴辺灭却」をめぐって――一休と临済禅への研究覚书
  はじめに
  一 临済における「灭宗兴宗」の精神はどう语られてきたか
  二 「瞎驴辺灭却」と一休――『狂云集』におけるその精神をさぐる
  おわりに

终 章 禅门と世俗と一休の像――论のむすびとひらき
  はじめに
  「语る」一休と「语られる」一休とを探求すること
あとがき これまでとこれから――一休を通して「禅文化」をたずねるということ
索 引

関连情报

受赏:
第1回东京大学而立赏受赏 (东京大学 2020年)
/ja/research/systems-data/n03_kankojosei.html

2022年度日本宗教学会赏 (日本宗教学会 2022年)


书评:
何燕生 (郡山女子大学?武漢大学) 評 (『宗教研究』別冊96巻 2022年)


「仏教?宗教関係書 今年の三冊」 (『仏教タイムズ』 2021年12月9?16日付合併号)

 
仏书?良书に亲しむ 秋の読书特集2021 (『仏教タイムズ』 2021年10月21日)

 
中外図书室 (『中外日报』 2021年10月15日)


小川隆 評「「一休という現象」を多面的に分析――多くの人にとって切実な不可避の問いを論じる」 (『図書新聞』 第3531号 2022年2月19日)