日韩インディペンデント映画の形成と発展 映画产业に対する政府の介入
映画馆でどんな映画を见るかは、ひとえに个人的な选択によって决まるものなのだろうか。シネコンで、ハリウッドのマーベル作品や名探侦コナンのような映画ばかりが上映されているとして、それを、市场の论理によってのみ説明することは妥当だろうか。
毎年数え切れないほどの映画が作られているにも関わらず、私たちが映画館で見ることのできる映画はその一部にすぎない。確かに、映画の制作は個人レベルでも可能なものであるが、そうして作られた映画が実際に上映されるまでの流通過程、すなわち「配給」は、社会、行政、そして産業システムの支配下にあるといえる。いかなる映画が、映画館で上映され、大衆文化の一部となる権利を得るのか、またその一方で、どのような映画がお蔵入りの運命をたどってしまうのか。こうした問題意識は、本書の根底をなすものである。古典映画の名作といわれるソ連映画、「戦艦ポチョムキン」(1925) の上映を例として挙げてみよう。この映画は、日本では1960年に公開されていたが、冷戦秩序による束縛の強かった韓国では1994年まで日の目を見なかった。何がこの映画の公開を妨げていたのか、あるいは、何がこの映画の公開を可能にしたのだろうか。本書では、こうした、ある映画が大衆のもとへと届けられるまでの過程で働く要素として、国家 (政策)、市場 (産業)、市民社会 (映画運動) を取り上げ、分析した。
韩国の场合、インディペンデント映画は1990年代初头まで検閲と规制の対象であった。権威主义体制下では、主に社会问题をテーマとするインディペンデント映画は、市场の秩序以上に、厳しい国家の统制下に置かれた。一方、日本のインディペンデント映画は、市场の影响、すなわち1960年代の映画产业の斜阳化の流れのうちにあった。メジャー映画会社は製作部门を切り离し、インディペンデント系会社はそうしたメジャー公司の傍系会社や下请け製作を担うこととなる。1960年代初头の日本では、製作―配给―兴行はメジャー公司によって独占されており、自主上映以外の方法で、独立プロが大众のもとに映画を届けるのは困难でもあった。
このように、国家、そして市场は、インディペンデント映画の上映に何にも増して重大な影响を及ぼしてきた。しかし、国家の统制や検閲、メジャーの独占构造によって観客の自由な文化の享受に支障が现れると、これに対抗するように映画运动が発达を见せる倾向にある。この点を踏まえれば、映画运动、すなわち、1960年代の日本の自主上映运动、1980年代の韩国の独立映画运动は、インディペンデント映画の配给に関わる、もう一つの重要な分析対象となる。
観客は、政策と产业からもたらされる限界を乗り越ようと、様々な运动を展开し、新たな映画との出会いの可能性を自ら拡张させてきた。本书は、そうした试みこそが、日韩両国においてインディペンデント映画を観客のもとへ届け、各々の社会の想像力と感性を広げてきたのだということを示そうとしたものである。
(紹介文執筆者: 鄭 仁善 / 2019年11月19日)
本の目次
1. 問題提起
2. 研究課題及び先行研究の検討
3. 研究対象及び本書の構成
第2章 日本におけるインディペンデント映画配給の始まりー1950-60年代を中心に
1. 映画産業のメカニズムとATGの誕生
2. インディペンデント映画の配給主体および観客の形成
3. 1960年代文化政策とインディペンデント映画配給
第3章 多様性と柔軟化時代のインディペンデント映画
1. 1970年代メジャー映画産業の構造変化
2. インディペンデント映画配給の多様化時代
3. 日本映画政策の大手中心主義
第4章 韓国におけるインディペンデント映画の発展
1. 1960年代以後韓国映画政策の展開
2. 韓国映画産業の構造変化
3. 韓国におけるインディペンデント映画運動の展開
4. 韓国映画政策における「多様性」への注目とインディペンデント映画
第5章 日韓の産業?政策構造とインディペンデント映画
1. 市場の優位、国家の優位、そして映画政策の運用
2. 抵抗としての民族映画と民主映画
3. 正当化されたインディペンデント映画、市場化されたインディペンデント映画
4. 2000年代以後日韓におけるインディペンデント映画の配給
関连情报
金成玟 (北海道大学大学院メディアコミュニケーション研究院?准教授) 評 「インディペンデント映画から問い直す映画産業の現在――映画研究の地平を広げた労作」 (『図書新聞』3323号 2017年10月21日)